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【エッセイ】鼻くそニキビ

 久しぶりに鼻くそニキビができた。しかも特大サイズの。ショックである。ショックであるが昔のことを思い出してこそばゆい気持ちにもなっている。
 鼻くそニキビ、というのは、私が勝手に使っている言葉で、鼻のあなの周りにできてしまった膿んだニキビのことだ。所謂黄ニキビのことだが、鼻のあなの周りにできたことで、鼻くそに見えなくもないことからそう呼んでいる。
この鼻くそニキビという言葉は、高校時代に初めて知った、というか教えてもらった、というか呼ばれた。
高校生。思春期である。私は周りにどんな風に見られているかをとても気にしていた。勿論、見た目も重要なポイントである。それなのに肌荒れは、あっちが治ったら今度はこっち、こっちが治ったらそっちもよろしくと言わんばかりに続いた。それなりに校則の厳しい学校だったので、髪型にも縛りがあったり、制服の着こなしにも制限があった。そんな校則のなかで化粧なんて誰に聞かなくとも禁止事項だ。今となっては化粧で、完全隠すことはできなくとも大きいニキビもあの痛々しい色味を抑えるくらいはしてくれるが、当時の私にはマスクくらいしか隠す手立ては思いつかなかった。
最初は飲食時のみマスクを外すようにしていたが、マスクで学校生活を送るのにも限界がある。半ば開き直ったようにマスクを下にズラし、向かった選択授業の教室で隣の席のクラスメイトと挨拶をした時だった。
「おっ、鼻くそニキビじゃん。」
完全に私の思考は置いてけぼりをくった。
続けて言われた「鼻のあなの近くにニキビできると鼻くそに見えるじゃん?」という言葉に返すまで少し時間を要した。実のところ、私の心は一瞬臨戦態勢に入りかけていた。中学時代の経験から私はいじられることに敏感で、なるべく嘗められないように学校生活を送っており、その時も無意識にクラスメイトに言われたひと言の真意を探っていたのだ。でも不思議と、ほぼ初めてに等しい感覚で、そのクラスメイトの言葉を受け入れていた。なんだか許されたような気持ちだった。そうか。私にどれだけニキビがあっても。特別親しい仲でなくても。受け入れてもらえた感覚にずっとどこか張りつめていた心が緩んだ。
 あの時、クラスメイトは私をいじったのではなく、誰にでも起こりるトラブルをユーモアを交え励ましてくれたのかもしれない。それでも私がいじられることにそれほど嫌悪感を抱かなくなったのは、鼻くそニキビという言葉が私の辞書に仲間入りしたあの日からだと思っている。ありがとうクラスメイト。勿論今でも投げかけられる言葉に嫌悪感を抱く時もある。それは人や場所、その時によって違う。だから鼻くそニキビと呼ばれて傷つく人もいるだろう。私はまだ誰かの鼻の周りにできてしまったニキビを鼻くそニキビと呼べる能力はないが、いつかその言葉を欲している人に伝えられる日がきたらといいなと思う。
 とりあえず鼻くそニキビよ、はやく治ってくれ!

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