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【エッセイ】乾杯


 乾杯、という言葉で思い出すことはなんだろうか。
私は高校の卒業前に学年主任の先生が歌ってくれた長渕剛さんの『乾杯』だ。

 この秋、高校の同窓会が大々的に開かれるらしい。当時の生徒、担任の先生、当時の校長や関わってくれた先生方にも声をかけ、学年全体で集まるとのことだ。
こんな風に集まるのは成人式のとき以来である。
同窓会、それこそ二十歳のころは割と頻繁に耳にした気がする。
小学校卒業以来初めて会うクラスメイト。男の子は身長の伸び具合に驚いたし、女の子はメイクもしていて、もう名前を確かめないと誰が誰かなんて確信が持てなかった。
私自身も小学生までショートカットだった髪がロングヘアになっていると驚かれたことが「そこに驚くんだ?!」と新鮮で面白かった。喋ると「中身は変わってない!」と感動されたことは喜んで良かったのか未だに分からないが。

同窓会に限らず、幼い頃や学生時代を知っている間柄の人と、大人と言われる年齢になって会うと不思議な気持ちになる。
挨拶は「お疲れ。」になった。昔はなんて挨拶するのが自然だったっけ。
お洒落なカフェや居酒屋のテーブルに並ぶご飯に、なんだか公園のベンチに持ち寄って食べたお菓子が懐かしく、恋しくなったり。
あ、でも、持ってるコップの中身は違うけど「乾杯!」は大人の真似して言ってたな。
なんて、あの頃から少し大人になってしまった自分を見せるのがこっぱずかしいのはお互い様だろうか。

話をこの秋の高校の同窓会に戻すが、最近の社会情勢を考えると同窓会の開催は難しいかもしれない。学年全体という大々的なものなら尚更、その前に立つ壁は大きいと思う。
成人式のあとに一度集まっているけれど、全員が二十歳を迎えていたわけではないから、みんな大人と言われる年齢になってから初めて会える機会。
卒業前に学年主任の先生が歌ってくれた『乾杯』という歌がきっとまた違った風に聴こえるんだろうなと思うと、この機会が無くなってしまうのは残念だ。
もし今回は難しくてもまたそう遠くない未来で再会できたらいいなと思う。
最終的な判断は同窓会を計画してくれた子たちに委ねられるだろうが、どんな判断になっても気に病まないでほしい。計画してくれただけでも感謝の気持ちでいっぱいだ。

 ところで、先ほどこの秋の同窓会について伝聞表現を使って書いたのは私が直接この同窓会について聞いていないからだ。
どうやら高3の時のクラスごとに連絡がされているらしいのだが、今現在でも交流があるのが違うクラスだった同じ部活の仲間だけのため、その仲間に同窓会について教えてもらった。
その仲間が私の連絡先を伝えようとしてくれているのだが、折角会うならもうちょっと成長しないと恥ずかしいというエゴを捨てきれておらず。やっかいなのだ。
でも先ほど書いた通り、そう遠くない未来で高校時代のみんなに再会したい気持ちも本当。
贅沢な悩みを抱えながら、今日もお疲れ様でした。乾杯。


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