会話の健全性アセスメント各論 正気編


『各論』では、『概論』にて述べたアセスメントの各要素のうち、特に必要なものに関してさらに踏み込んだ内容を記述するものである。
したがって、本記事を読むにあたっては、まずはこちらを一読なさることをお勧めしたい。


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会話の健全性アセスメントにおける『正気』とは、字義通り発言の正気度を計測するための尺度である。

主に
・通常人の価値観や倫理観を著しく逸脱するような会話でなかったか。
・自身の狂気性に自覚がある場合はそれを隠蔽するための対策は十分であったか
・そうでない場合、極度に衒奇的な振る舞いはなかったか。
といった項目がその判断材料となる。


一般論として、大半の人々はその生活において、狂気的な人間との積極的なコミュニケーションを好まない。

狂気はその持ち主の行動・言動に奇妙な不規則性、予測の不可能性、通常人の倫理観・価値観からの逸脱をもたらす。
それらが会話相手と不協和を生み出し、多大なる不快を与えて忌避される─いわゆる『嫌われる』状態を導くのだ。

であればこそ、健全で好意的なコミュニケーションを志向する上で、この狂気の最小化・あるいは十全な隠蔽は必要不可欠である。
会話はすなわち価値観のすり合わせであり、健常な世界の住民との協和を常に意識せねばならない。

また一部では、エキセントリックでミステリアスな人格の演出、目立つことによるイニシアチブの獲得といった意図を込めて、持ち合わせてもいない狂気をさも持っているかのようにアピールする者も散見される。
『初カキコ…ども…』(注1)コピペがその一例として挙げられる。

しかしながらそのような意図は、後で自ら『ネタバラシ』しない限りは相手に伝わることはない。(注2)
発言の狂気度・正気度はあくまでその外形から測られるものであり、その主の真の精神状態の如何を問わない。

善行はその動機ではなくその結果に基づいて評価されるのと同様に、狂気的なアクションもまた、その心根ではなくそれが与えた印象によって最終的に判断されるのである。

『狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり』

たとえ非・非健全な精神による計算尽くのものであっても、その発言が字面上狂っているのであれば、その主は受け手にとって狂人なのである。



(注1)
2ちゃんねる(現:5ちゃんねる)のオカルト板・グロ総合スレでの、とあるネットユーザーの書き込み。

中3でグロ画像を鑑賞、自身の狂気的な言動への開き直り、ヒトラーを尊敬…といった衒奇的・露悪的な要素が目立つ、有り体に言えば『痛い』文章である。
(以下、原文)

『初カキコ…ども…
俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは

今日のクラスの会話
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな

かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

好きな音楽 eminem
尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)

なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ』

(注2)
ポーの法則(Poe's law)を参照されたい。
そのネタバラシ自体の信憑性はさておき、過激・狂気的な発言に何の注釈もつけなければ『これは本気で言っていることだ』『こいつは過激で狂ってる奴だ』という評価をされることなど火を見るよりも明らかである。

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