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いつだって解釈は変えられる

私は身体を動かすのが好きだから、毎日ウォーキングしたりヨガしたり
時には水泳だったり筋トレだったりするんだけど
小さい時は、もともと海が好きで海で自由に泳いでみたい!と思って
水泳教室に通わせてもらったりした。
でもそれは自分の想像していた世界とは全然違って。

私は海で自由に泳げるようになる技術を身につけたくて水泳教室に通ったつもりだったんだけど、平成初期の水泳教室はそんな甘いもんじゃなくて
競争、競争、レース、タイム、、、

フォームが崩れたり前回よりも遅いタイムだったら容赦なくぶっ叩かれ、怒鳴られるという昭和スタイルの水泳教室だった。

そして泣きながら家に帰ると甘えるなとまた怒鳴られぶっ飛ばされる。二重苦。

ざっくり分けるとゆとり教育の世代だったけど、学校も習い事も、昭和の奥ゆかしき伝統に育てられた先生方しかいなかったし、ゆとりに切り替わったそのまさにその瞬間にいた為だったからか私個人はゆとり教育なんて受けれてないわけで。
地域柄もあってか、そんなゆとりを感じられる環境にはいなかった。

そんなこんなで、泳ぐ事は愚か、海まで嫌いになってしまった時期がある。
青い空、穏やかな海を見るだけで嫌な感情に囚われてしまった時期。

でも大人になって、運動不足だし
久しぶりに泳いでみるかぁと思って泳いでみると、身体はフォームを覚えていて難なく泳げて、そこには泳ぐと選択した自分と自由に泳げる環境。
レースではなく、自分の思いのままに好きに好きなだけ泳げる、まさに自由。
久しぶりに自由に泳げる環境で好きに泳いだ時の事は今でも忘れない。

過去に辛かった経験もしたけど、泳ぐ事が好きという自分の感性は根本から変わってなかったみたい。


好きな事は1つでも多い方が良いし、嫌いな事は1つでも少ない方が良い。

スパルタなやり方で泳ぎを覚えたけど
そのスパルタがあったからこそ久しぶりに泳いだ時に開放感と自由を感じたのかもしれないし、厳しくフォームを教えてもらったからこそ今でも身体が覚えていて難なく泳ぐ事が出来たのかもしれない。

と、大人になった今の私は冷静に過去のちょっとしたトラウマな出来事をポジティブな方向に解釈してみる。

もちろん過去に起きた嫌な出来事の全てを+思考に変換出来る訳じゃ無いけど。
過去に起こった出来事は変えられないけど、解釈はいつだって変えられる。


少しだけ、物事を遠目から見てみよう。


ちょっとだけ見方が変わるかも^^


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