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ニンジャの話 その5 決心


長屋門のトンネルを抜ける正面に古い梅の木がありました。梅の木の後ろはすぐに山になっていて石垣が組んであり放棄された3段ほどの田んぼがありました。千枚田ならぬ三枚田です。トンネルから左側に黒くて大きな母家が立っていました。見るからに手入れがされておらず誰も住んでいないことがわかります。外側には木の雨戸が立てられており中の様子は見ることはできません。面白いなと思ったのは家の右側に男性用のトイレがあったことです。農作業の時などに使ったのでしょう。山の中腹を切り開いて建てたであろうこの家の庭はそれほど広いものでありませんでした。3角形をしており長屋門と母家の間は広いところでも10メートルほどでした。正面の石垣との距離は一番狭いと場所でも1.5メートルほどでした。この1.5メートルほどの庭の切れ目の先にはものすごく古い蔵がありました。これもまた大変ひどい状態で壁の一部は剥げ落ちていました。お宝は眠っていそうには見えませんでしたが父はこの蔵がいいな!と興奮気味です。蔵の先には矢場がありこれはもう半分朽ちていました。

誰も住んでいない古い家の特有の匂いがこの家を包んでいました。まさに廃屋という言葉がぴったりです。トンネルを抜けた時にはちょっとした冒険のような感じすらしましたが私と弟はすぐに飽きました。父と母は「すごいねー」と言いながらあちらこちらをチェックしているようでしたが私は早く帰ってテレビ見たいなーって思っていました。私にとっては誰も知らない人が住んでいたであろう家であり、ただの古い建物でした。

小一時間見学した後私たちは車に戻り、父と母は再び校長先生の家にご挨拶に行ったようでした。

それから数ヶ月後、私はすっかりあの家のことは忘れていました。そしてある日の夕食。父は私たちに「足助のあの家、買ったよ」と爆弾宣言があったのです。

大学で教鞭をとっていた父は比較的柔軟に仕事の時間を決めることができます。あのあとも何度もあの家を訪れ、中もチェックしていたようでした。本人曰く、「使っている木がとてもいい」。「こんな素晴らしい家が空き家だなんて信じられない」と購入理由を述べる父も興奮気味です。家を直して別荘として」使おう。学生や生徒が使える青少年道場にしよう。飲食などもできるのではないか。と次々と希望が膨らんできています。入退院を繰り返して元気がなくなっていた父は自分のアイデアにとても満足しているようです。今でこそ「リノベ」という言葉が一般的ですが当時はそんな言葉もなくただの改修、しかも改修は下手すれば新築よりも費用がかかると言われていますが本人はDYIでやる気満々でした。

後から母から聞いた話ですが、母はそれほど気乗りはしていなかったようですが父がとても嬉しそうだったこと。健康状況が悪かったので死んでしまっても後悔が残らないようにやりたいことはやらせてあげようと思っていたとのことでした。私の父は幼少時に彼の父を事故で亡くしており祖母が苦労して大学まで進学させました。祖母ができていたのだから自分だってできるだろうと腹を括っており、父には自由に余生を過ごして欲しいと思っていたとのことでした。

これも後から聞いたことですが、購入価格は250万円。今から45年ほどまえ、日本がバブルで踊る随分前です。正直高いのか安いのかはよくわかりません。母はえいや!と買ったと笑っていました。岡崎に住んでいらっしゃった所有者との売買交渉も問題なく進みました。こうして築150年、江戸時代後期から明治時代前期に建てられた古民家は徳島からきた夫婦の家となったのです。

明日に続きます!


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