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愛は悠久の時を超えて存続するエネルギーの源泉

ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)も説いているように私たちの人生には「生老病死」の四苦に、「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」の四苦を加えた八苦という、何人(なんぴと)も逃れることのできない根源的な壁がある。仏教ではこれらの苦しみ(四苦八苦)から脱却するには、四諦、八正道、六波羅蜜の実践に取り組むことを勧めている。またドイツの哲学者カール・ヤスパースは「偶然・苦・闘争・罪責・死」を「限界状況」と称し、一人ひとりの人間がこの限界状況に直面し挫折することにより、超越者と触れ合うことを説いている。

確かに私たちの人生は日々苦しみの連続のようにみえる。しかしながら、一見苦しみに充ち満ちたこの人生そのものが、そのまま無上の悦びでもある。なぜならば、たとえどんなに苦しくても人生とは「常に可能性に充ち溢れた一度限りのかけがえのない貴重な時間」であると同時に「この貴重な時間を現に今この瞬間に生きていることを実感できる場」であるからだ。それ故に、たとえ「四苦八苦」の苦しみから逃れることができなくても可能な限りこの貴重な時間を謳歌したいと切に願っている。私にとって生の悦びとは「一度限りのかけがえのない人生を、愛する人とお互いに励まし合いながら手を取り合って生きている実感」に尽きる。

逆にもし愛する対象が存在しなければ、たとえどんなに物質的に恵まれていても、あるいは特別な地位や名誉が保障されていてもそれらは所詮「砂上の楼閣」に過ぎない。この世は苦しみに充ち溢れているようにみえるが、それでも私たちが生きていけるのは、愛する対象が存在しているからではないか。打算のない純粋な愛こそは、たとえ肉体が滅んでも悠久の時を超えて存続し続けるエネルギーの源泉のように思えるのだ。もしこの世に心から愛情を注げる対象が一切存在しなければ、そのような人生はもはや私にとっていかなる意味も持ち得ない。

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