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音楽に内在する摩訶不思議な力

物理的には空気振動の特定のパターンでしかない音楽は実に摩訶不思議な力を持っている。ある時代の、ある国の、ある作曲家の頭の中で生み出されたあるメロディーが言語も民族も、さらに時代さえも超越して人々を共感させ感動させるのだ。

例えばワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』や『ニーベルングの指環』、あるいはリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストはかく語りき』や『英雄の生涯』を聴けばみるみる力が漲ってくるのを感じる。

また、弦楽器のトレモロで始まり深い森の中に立ち込めていた霧が次第に晴れ渡っていくようなあのブルックナー独特の長大な交響曲を聴けばとても雄大な気持ちになるし、同じオーストリアの作曲家でもヨハン・シュトラウスのウインナーワルツを聴けばとても華やかで軽やかな気分になる。

チャイコフスキーやラフマニノフの作品を聴けば、なんだかすごくロマンチックな気分になる。ちなみにラフマニノフの交響曲第2番やピアノ協奏曲第2番を聴くと、なぜか私はあの『ドクトル・ジバゴ』すなわち過酷なロシア革命を時代背景に広大なロシアの大地を駆け巡る男女の愛をテーマにしたパステルナークの長編小説を思い出してしまう。

モーツァルトやショパンのピアノ曲を聴くと、ホッとした気分になって気持ちが安らぐ。バッハのカンタータを聴くと荘厳で深淵な気持ちになるし、グレゴリオ聖歌や東方教会の聖歌を聴くと汚れた魂が浄化される感じがしてくる。

その一方、不協和音を効果的に使ったストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』を聴くと体中に躍動感がみなぎってくる。かと思えば、後期ロマン派に位置するワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ」、あるいはシェーンベルクの交響詩『ペレアスとメリザンド』や室内楽曲『浄夜(浄められた夜)』なんかを聴けばそのあまりに官能的な音色とメロディーに身も心もとろけそうになってしまう。

いったい音楽とは何なんだろう。音楽という現象は人間の脳を離れてそれ自体が物理的客体として実在しているわけではない。なのにどうして人間は音楽を聴くことで様々な感情が誘発され喚起されるのだろう。音楽について考えれば考えるほど音楽に内在する摩訶不思議な力にますます驚嘆させられる。音楽(music)にはやはりムーサ(Musa)の力が宿っているのかもしれない。

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