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宗教の存在意義と普遍性

今後私たち人類はどのような進化の過程を辿るのだろう?私のような凡庸な人間にはなかなか想像できないが、ある時点で転変地異もしくは核戦争でも起きて人類が滅亡しない限り、科学・技術の進歩は留まるところを知らず、幾度となくパラダイムシフトを繰り返していくに違いない。

恐らくその過程において、現在の奇妙奇天烈な(と思えるような)素粒子の存在や、量子力学の不確定性原理および相補性原理の不可解さもそれらを包含する万物理論によって止揚されていることだろう。老化のメカニズムも完全に解明され遺伝子操作によって人間の寿命が飛躍的に伸張しているだろうし、がんやその他のウイルス疾患もほぼ解決されているものと思われる。またある時点で、私たちの遠い子孫が突然変異により、ホモ・サピエンスからスーパー・ホモ・サピエンス(超人)へと進化している可能性すら否定できない。

だからといって私たち人間(あるいは超人)はブッダの唱えた「四苦」すなわち生・老・病・死や、偶然・苦・闘争・罪責・死といったヤスパースのいう「限界状況」から逃れることは決してできない。それ故に私たちが今後どのような進化を遂げようとも、宗教の存在意義が喪失することは決してあり得ないのではないか。

もしかしたら世界の四大宗教が個々に独自の発展を遂げていくかもしれないし、それらをすべて統合するような新しい世界宗教が登場するかもしれない。あるいは宗教の非合理性がその極限まで排除され、人間理性と本質的に相矛盾しないカントのいう「単なる理性の限界内における宗教」、もしくはヤスパースのいう「哲学的信仰」を信奉しているかもしれない。いずれにせよ、私たち人間が人間である限り、例えば夜空を見上げたときに感じる神秘に対する畏敬の念や畏れの感情(ヌミノーゼ体験)が失せることは決してないだろう。

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