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『昭和の良き日々』  第4章『八幡製鉄所起業祭』 いしもと 弘文のプロフィール

八幡製鉄所起業祭

 北九州市旧八幡市で最大のお祭りが近いてきました。毎年11月17日・18日・19日は年に1度の『八幡製鉄所起業祭』が催される日です。明治34年(1901年)11月18日八幡製鉄所が作業開始式を挙行したのが始まりで起業祭が開催される事になりました。長い歴史あるお祭りです。現在でも多少規模は縮小されましたが継続しています。何と言っても起業祭は特別な日で学校は当然休みとなる。同時に十八日は製鉄所構内の溶鉱炉を唯一、一般市民に開放して見学できる日でもあった。

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 ここで一つ小学校の同級生についてお話しします。          その溶鉱炉で働く男が同級生のお父さんでした。当時製鉄所は三交代制で昼間いつも遊びに行くと、常に寝ていた人です。製鉄所で働くといっても危険な仕事は正社員ではなく下請けの給与の安い労働者を雇っていた時のことです。汗まみれで汚れた姿がお父さんであった。             同級生の集まりで、彼は当時のことを初めて告白した。『何しろ貧乏で、貧乏で、二階の屋根裏で生活していたから』と言う。しかし、子供にとって彼の屋根裏は絶好の遊び場であったことに間違いはない。子供は時には無意識に弱者に向かって残酷な仕打ちをする事もあるが、その時は単に同情心がなかっただけである。ここで改めて申し訳なかったと詫びたい。

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  八製製鉄所の発展と共に中央区商店街は繁栄しました。製鉄所は地元商店主にとって生活の源であって必要不可欠の企業であった。七色の黒煙を撒き散らそうと、煤煙で屋根が腐食し雨漏りがしようとも、環境公害問題を引き起こす事もなく、自然の虹と同様に空を覆うものだと思って生活していた。確かに当時は公害問題を口にするものは誰もいなかった。健康障害よりも生活優先の生活を重要と思っていたのだ。戦後の人々は極度の貧困で食べ物に飢えていた時代の事ですから

 八幡中央区商店街の子供も大人にとっても特別な日です。大人にとっては多くのお客で溢れ、お店が潤う日です。商売人の小さな子供は店にいるとお客の邪魔になる事を本能的に知っていた。商店街の子供は会社員の様に家族で起業祭を見物に行くと言うことはなかった。何しろ多くのお客様が中央区商店街で買い物をして頂いたので大人たちは多分起業祭に、どんな催し物があるのか知る余地もなかったと思う。又、有名な芸能人の舞台を見ることもなかったと思います。当然、商店街の店主及び従業員は夜遅くまで働いていました。大谷球場広場の周りを取り巻く多くの出店も見ることもなかったと思います。

  商店街の子供は独立心が強く私も1日に何度も1人で知らない人々の隙間を見つけては人垣を縫う様に繰り返し行き来しました。
商店街には6カ所入り口がありました。その皿倉山側の2カ所の一方の入り口を出ると、ゆっくりとした登り坂の両側に、びっしりと小さな出店が並んでいました。その階段を上がると右手に大谷球場、高校生の甲子園出場の県大会が開催される所で、その日は朝から特別に無料で野球が見学できました片方の入り口からは緩やかなスロープで右側にカーブして階段から登って来た道と合流していた。その道路の両側にも同様に多くの出店が並んでいた。

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  大谷球場の周辺の広場は普段は車が通る車道と駐車場になっていた。その日は完全に封鎖されていました。球場周辺の広場が製鉄所所有の空き地で奥から、木下サーカス・お化け屋敷・各種見世物小屋・東京から招いた有名芸能人が演じる演舞場が並んでいました。どこを見ても人集りで身動きできません。その先を曲がりくねった急坂を上がると、その奥の上り詰めた所に起業祭の主役、八幡製鉄所の大谷体育館がありました。
そこで製鉄所で亡くなった人々の慰霊祭が毎年十八日に行われていました。そのことは子供には知る訳もありません

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 その広場の騒音の中で、子供の興味を惹きつけた興行は見世物小屋でした。
今でもあの独特の妙に耳に心地良い調子で小屋の前に立ち並ぶ大人を中へ招き入れる。独特の言葉の節まわしに魅了され、毎日小屋の前で隙間の空間から中を覗き込んでいた私がいた。少しだけ女性の異常な振る舞いが見える。蛇を口に加えて、こちらを見た瞬間小さな窓口の幕が降り、中から異様な唸り声が聞こえてくる。大人たちは急ぎ足で中に吸い込まれて行く。幕の隙間から覗き込むが見えることはない。

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『子供は入れません』と何度も前口上で言い続ける。その後、異様な彼女の生い立ちを細かく例の調子で語り、観客の興味を一層掻き立てる。1回目の興行が終わりに近づく。
その後、いつの間にかサーカスもお化け屋敷も見世物小屋も見ることができなくなりました。

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  今年も大谷球場周辺広場に行くと、見世物などを見ることはできませんがいつもの広場、騒々しい人混みの中から、
「親の因果が子に…」と特徴ある奇妙な調子の声が耳元に聞こえてきます。

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