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「ルビーのなみだ」

ロンドンの中心にある
小さなアパートメント。

ローズは携帯を見て
大きなため息をついた。
妹ルビーからのメールで
スザナが、久しぶりに日本から
帰ってくるという。

スザナは、日本に渡って20年。
パパが倒れた時にも
ロンドンに帰ってこなかった。

大好きなパパが倒れたのは
17年前。
10年介護して、他界した。

その間、次女のスザナは
二度ほど帰国しただけ。

ローズとルビーが必死になって
ママを助けて、パパの介護に
奔走しているとき、スザナは
日本の大学の試験を受けていた。

パパが倒れて数年経って
やっと顔を出した。
自分の立場が安定したからだ。
後は危篤の時。
その頃には、なんと日本の大学で
物理を教える講師になっていた。
もともと頭がよかったスザナは
イギリスより日本で開花したようだ。

それっきり会ってないので、
ローズとしては、妹という気持ちで
スザナと接することに、違和感があった。

末っ子のルビーはとても家族思いで
やさしい子だ。
スザナを家族として見放しては
いけないと思っているのだろう。

ローズは、違った。
家族が一番困っているときに
自分のことだけをしていたスザナに
会いたいとは思わなかった。

そもそも、ローズと
1才半しか変わらないスザナは
いつもローズの後を追っかけていた。

大学も、ローズが行きたかった
大学をわざわざ受験して、
そこに受かって、ローズを
見返してやったつもりのようだった。
が、姉のマネをしたくて、学力の高い
大学に入ってノイローゼになった。
実際やりたいことも確認せず
入ったからだ。

ローズは、一ランク下の大学で
悔しい思いをしたが、
やりたいことがあったので、
生き生きと過ごした。
それも、スザナにとっては
ストレスだったようだ。

ローズは元々、日本文学に
あこがれていたので、
日本に留学した経験もあったが、
学生ビザの関係で
ロンドンに戻ってきた。

その直後、日本になんて、
ひとかけらも興味のなかった
スザナが東京に移り住んだ。
また、日本でも何がしたいかなんて
決めてなかった。
ローズができなかったことを
再現することが目標だったスザナ。

いつの間にか、ローズとスザナの
間には大きな溝ができていた。

年の離れた三女、ルビーは、
スザナがノイローゼ時代、
家族の晩御飯を全部一人で食べて
トイレで戻しているのに
気付き、愕然としていた。
過食と拒食症の連鎖だった。

その厄介もののスザナが
日本にへばりついていたのは、
もう自分の国に帰ることを
あきらめたからなのだろう。

大切なパパの一大事に
知らん顔だったスザナは、
ママからの仕送りで何とか
生活していた時期もあったらしい。

そんなスザナが帰国しても
ルビーは、ちゃんと家族として
接しようとしていた。

パパの介護の10年間、
パニックになっていたママの代わりに
ローズとルビーは、仕事の合間、
パパの病院に通った。

平日はママに任せ、土日は
お互いにスケジュール張を開き、
どちらかが、パパのそばに
いるようにした。

パパの危篤のとき、
スザナは間に合わなくて
お葬式にも出れなかった。

パパとの最期の晩、
ローズとルビーはパパのベッドに
寄り添って、昔話をしたり、
子供のころの歌を歌ったりした。
心音が低くなると、パパを呼び戻した。

ローズは、そこで、初めて
末っ子ルビーが、どれほどパパに
愛されていたかを聞いた。

帰ってきたら、小さなルビーを
抱きしめるパパのベルトのバックルが
額に当たって痛かったこと、
人混みでは、ルビーがはぐれないように
ずっとパパのベルト通しに
指を入れて後ろを歩かされたこと。

ローズは、1才半でお姉さんになって
しまったけど、末っ子のルビーは
小学生になるまで、そんなことが
続いていたという。

ローズも実は日本が懐かしく、
学生の頃すごした大阪に、
5年ほど前に旅行していた。

スザナが東京にいることは
知っていたけど、一切連絡は
取らなかった。

パパが亡くなって、しばらくして
帰国したスザナを、歓迎して
受け入れたママとルビー。

ローズは、多少日本語が理解できても
スザナに何かあっても、
自分はスザナのために日本に行くことは
ない、と思った。

ルビーは、その頃、結婚していた。
スザナのことは自分たち夫婦で
どうにかする(例えば日本で亡くなったら
日本へ行く)と言った。
ルビーには、二人の姉、という
認識なんだ、と思うと、ローズは
耐えられなかった。

ママにしても、三人娘、なのだ。

ローズは、何度かルビーに
聞いた。
「私とスザナはルビーにとって、
姉として対等なの?」
ルビーは、やんわりと肯定した。

徐々に、ローズとルビーの
間にも溝ができてきた。

ママの近くに住んで、
子供を育てているルビーは
ローズよりずっと達観している
ようだった。

二度目にスザナが帰国したとき、
ママもルビーも、ローズには
内緒にしていた。

でも、ばったり、パパのお墓の
近くの小道で、三人で出会ってしまい、
ママは、万引きがバレた子供のように
うろたえていた。

ローズは、内緒にされていたことへの
疎外感と、スザナを贔屓する家族に
激怒した。

もはや、スザナ云々の問題ではなく、
ルビーがどうしてそこまで、
自分とスザナを対等に扱おうと
するのかが理解できなかった。

介護の10年、医者まわり、
銀行まわり、お葬式、、すべて
ローズとルビーで力を合わせて
パニックになるママを助けてきたのでは
なかったのか。

そして、ルビーの子供たちが
言葉を覚えるにしたがって、
ローズとの距離があいた。
おそらく、スザナが頻繁に
ルビー一家に連絡しているのだろう。

大好きだったパパだけが
ローズのことを認めてくれているような
気がした。

スザナが一旦帰国する少し前、
ローズは、久しぶりにルビーに
会った。

スザナが前回帰国してから
5年ほど経っていた。
やっと正常化したローズと
ルビーの関係。でも、ルビーは
子供たちとは別に、ローズに
会いに来た。

この時、パパの話になった。

一番献身的にパパの介護をしていた
ルビー。

「でもね、最後のほうは、パパ、
ママか、ローズか?としか
聞かなかったんだよ。
え? この話したことなかったっけ?」

ローズは、初めてきいた。
パパが、ルビーではなく、
自分の名前を呼んでいたことを。

「ママはともかく、どんだけ頑張っても
私じゃないんだな、と思った。
パパが分るのは、ママとローズだけ
みたいだった」

ローズは慌ててフォローした。

「パパも、朦朧として、娘は全部
ローズだったんじゃない?」

ルビーは、あいまいに、
さみし気に笑った。

パパそっくりのローズ。
パパに一番かわいがられたルビー。

でも、パパはローズの名前しか
呼ばなかったのだ。

今回、帰国するスザナ。

ママの家とルビーの家を
往復して、楽しく過ごすのかもしれない。

携帯のメールに、ローズは
「私は会わないから」と
書いて送ったが、今なら、ルビーの
気持ちが少しわかるような気がした。

ローズと一緒にがんばったルビー。
ママとローズとルビーは
いつも必死だった。
なのに、パパは、ルビーの名前を
覚えてなかった。
それじゃ、スザナと一緒。

ルビーがスザナを避けないのは、
逆にローズに対する気持ちの
現れなのかもしれない。

そう思うと、ローズは、パパが
亡くなって7年もの間、
自分の名を呼ばなかったエピソードを
語らなかったルビーが
心の中で泣いていたのを感じた。

末っ子ルビーのなみだ。

それは、誰より献身的で優しい子の
切なさがいっぱいのなみだだった。


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