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90歳の彼女からのLINE

2月の中旬のことだった。
LINEの友達追加のお知らせが来た。
90歳の彼女からだった。


彼女は、私の別れた夫の母親だ。
元義理の母、里子さん(仮名))から。

里子さんは、2月の初めに電話を2年ぶりくらいにくれた。ちょうど私は図書館にいて着信に気づかず、図書館から急いで出て電話かけた。

「もしもし、お義母さん、電話頂いたのに出られなくてごめんなさい。お元気ですか」
「もしもし、順子さん(仮名)元気そうね」

「はい、元気に過ごしてます。お義母さんはどうですか」
「私も元気よ。相変わらず膝は痛いけれど。おかげさまで」

「何か御用ですか」
「あのね。夏美ちゃん(仮名)2月に出産でしょ、
だから様子が知りたくて電話したんだけど通じないの」

「あー、夏美、携帯の電話会社を変えて、その時電話番号も変えたんです」
「そうなの、電話番号教えてくれる」
と里子さん。

私は急な里子さんの電話であわててしまい
「あのぅ、お義母さん、電話番号どうやって知らせましょうか。メールで送りますか?それとも今言いますか?」

ガラケーを使っていた里子さんにどうやって娘の電話番号を伝えようかあたふたしてしまった。
すると
「順子さん、私、買ったのよ。スマホ」
「え〜すごいですね。お義母さん、
 スマホでかけてきてるんですか」
なんてバカなことを聞いてしまった。

「ほら、ラインっていうの、それも使えるわよ」
「あっそうですね。じゃあLINEで知らせますか」
LINEで知らせると電話番号が自動的に確か青字になった記憶があったからだ。

でも、里子さんからの電話番号は、私のともだち追加には入ってきてなかった。
「あのぉ、お義母さん、私のLINEの友達追加のお知らせにお義母さんの番号は、まだ届いてないんですけど」
「あら、そうなの番号でラインに追加されないの」
「じゃ、夏美の番号言いますね」
そして急いで手帳を出し里子さんに娘の番号を伝えた。

それからしばらくして里子さんの友達追加の番号のお知らせがスマホに届いた。
さっそくLINEで
『こんにちは、嬉しいです😊 ラインできるようになったんですね。』
『そうなの。これからはLINEで送ります。
よろしくね😄』と絵文字まで入っていた。
驚いた。里子さんはどうやってともだち追加ができたのだろう。

私は今でも友達追加のシステムが解ってない。
恥ずかしい。
里子さんは、一緒に暮らしている元夫の2番目の弟に聞いたのかも知れない。
しかし、里子さんの探究心には感心させられた。

里子さんは東京生まれ、義父も東京生まれ、
2人は結婚後、東京のとある所に住んでいたが、元夫が、小3の時千葉の東京に近い市に転居してきた。
坂の多い市だったので里子さんは、原付バイクの免許を取りバイクを運転し、買い物にさっそうと行っていた。
私が元夫と結婚した時も運転していたからすごい。

里子さんは若い頃、冬はスキー、夏は登山とかなりアクティブな女性でありながら、裁縫も得意で
自分の着る服はもちろん、自分の子どもたちの服も手作りだったそうだ。
業務用ミシンを使って内職をして、公務員の義父や家族のため家計を助けていた。

私は、里子さんに妊娠中、可愛い妊婦服、主にワンピースを作ってもらい、職場でうらやましがられた。
もちろん娘のベビー服、今はスタイって言うんですか、よだれかけもフリル付きの可愛いものを10枚くらい作ってもらい涎ダラダラの娘には、なくてはならないものだった。

すごく印象的だったのは、ベビー服の雑誌を、里子さんと一緒に見て、私が気に残った服に○印を20くらい付けたかな。1歳から2歳の服を全て作ってもらった記憶がある。

娘は里子さんと定年退職した義父が元夫の家(私たち夫婦は、スープの冷めない距離のマンションに住んでいた)に預けていたので、里子さんは、育児をしながら
娘の服を作ってくれていだから驚きだしありがたかった。

それはそれは可愛いロンパースやワンピース
世界に一枚、娘だけの服だから。 

娘の3歳の時、1年だけ習っていたバレエの発表会の衣装も里子さんが作ってくれた。
4歳から小学3年生まで習っていたピアノの発表会の衣装ももちろん里子さんの手作りだった。

里子さんとデパートに行って、可愛くて華やかな赤のワンピースを参考にして、大手手芸店に布地を買い、里子さんが見事に作ったワンピースは今でも大切にしまってある。私は、もっぱら安いカチューシャを買って100均の材料で、自分で言うのもなんだが素敵な造花の小さな花とリボンのカチューシャ、これも大切にしまってある。

里子さんは、60歳を過ぎてから、自動車の免許をとると宣言して見事取得した。
そして買い物にはもちろん、春と秋のお彼岸の日には、菩提寺にある東京の麻布、泉岳寺の近くの〇〇寺まで高速道路を使って義父、娘、私を乗せて軽自動車でお墓参りに行っていた。
ほんとのこというと恐い思いも何回かしたが、
里子さんは、
「私は、東京生まれだからよく道を知ってるのよ
心配いらないわよ」
と、涼しい顔で運転しながら言っていた。

娘は、8ヶ月から小学3年生まで、里子さんと義父に面倒をみてめてもらった。そのおかげで私は小学校の教師の仕事を続けられた。
そして病気で入院治療中の時期も、娘がお世話になった。感謝してもしきれない。ありがたかった。

夫と別れてからも、私と里子さんとの付き合いは続いた。
娘は大学時代、元夫とIターンしていた長野県から転居し、里子さんの家に住んで通っていたこともあり、なにかと連絡を取り合っていた。

私は、義父の葬儀の時は、里子さんに頼まれで家に泊まり、家事をし娘と共にそっと義父を見送った。(通夜に、目立たなように行った)

里子さんが、白内障の手術のさいは、頼まれ家事や、病院にタオルなど持ってお見舞い、お手伝いをした。

お正月には、娘と、何回か顔を見せに挨拶に行ったりもしていた。 

元夫は男3兄弟の長男、今は長野県に住んでいて、
2番目弟は、義母と同居、3番目の弟は、結婚して同じ県内の別の市に住み、息子に恵まれた。

娘と私は、ここ2年くらい里子さんの顔を見に行っていなかった。
手紙、電話もしてなかった。
なんとなく疎遠になっていた。

それが孫が生まれるとなって、里子さんからの
電話だ。
娘は去年から年賀状を里子さんに送っていたようだ。
私にも今年、ポメラニアンのポメちゃんが、
虎の服を着させられた写真入り年賀状が届いた。

里子さんにも届いたのだろう。
里子さんと私はけして仲が良い関係だけではなかった。
夫との喧嘩では、私の味方もしてくれたけれど
私への批判もされた。

私も里子さんに遠慮なく言いたいことを言って
ギクシャクした時もあった。

元夫とは音心普通。
娘から元気だよと聞くくらい。

里子さんとは、きっとこれからも縁が続くような気がする。
70歳後半から80歳前半だったかな
里子さんは海外旅行に3回くらい行った。
お土産を送ってくれた記憶がある。

90歳でも、LINEをし、家事をこなし、元気。
里子さん
私、里子さんみたいに歳をとりたい。
出会えたことに感謝。
ではまたLINEでと。
ひとり、つぶやく。





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