夜景と星
クリスマスイブをとある地方都市で過ごした
その街は海沿いにあり、昔から温泉で栄えていたせいか道路が立派である
脇の歩道が広いので車道が広く感じ、頻繁に路面の舗装が行われているのか、黒々としたアスファルトがどこまでも続く
その高台に、外資系のラグジュアリーホテルチェーンが5年くらい前に新しいホテルを建てた
そのホテルに泊まることも考えたが、気の進まない何かを感じ、そのホテルではアフタヌーンティーを取るだけにした
エントランスはホテルの顔というが、そのホテルのエントランスは今流行の顔である
3階部分まである吹き抜けの壁一面が全面ガラス張りとなっていて、ガラスの向こうには街が見下ろせる
それはタクシーで登ってきた時に見た風景であるが、巨大な窓に切り取られたことで絶景に変貌していた
夜になるとさらに美しさを増すものと思われる
そしてプールは街を見下ろすインフィニティプール
流行りの要素を全て取り入れたk-POPのようなホテルだ
しかし、下界の街でクリスマスを感じさせるものはほとんどない
唯一、サムペキンパーの映画のように横一列になって歩く4人組の女子高生の1人がサンタ帽を被っていたくらいだ
その女子高生4人組がアーケード街に入って行ったのでそこに楽しげな何かがあると思いついて行ってみると、クリスマスイブの夕方だというのに店の7割のシャッターは閉じられていて誰もいない
向かって歩いてくる人が誰もいないので、その女子高生4人組はサムペキンパーの映画のような横一列の隊列を崩すことなくアーケードを抜け、どこまでも続く歩道の彼方へと遠ざかっていった
そんな街だからホテルで日本語を話す客は半数程度
地元の人で、クリスマスイブをここで過ごす人は皆無だろう
街の人はここから夜景を見下ろしても、その灯の一つ一つにロマンチックな物語などないことを知っている
私はなんとなくそんな気がしていたので、そのホテルには泊まらなかった
アフタヌーンティーにわざわざ行ったのは、その「なんとなく」を確認するためだった
確かにそのホテルの「演出」は素晴らしい
だがそこに、その演出に値する内容があると思えなかったのだ
アフタヌーンティだけだったが、ホテルの人の接客はいいとは言えなかった
こちらが視線を合わせようとしても、ホテルのスタッフは頑なにこちらから送る視線を避けるので、ミルクティを頼むまで結構な時間がかかった
私は最高のミルクティを飲んだことがあるので、ミルクティでそのアフタヌーンティのレベルを測ることができる
苦労してホテルのスタッフと視線を合わせ、ようやく持ってきてもらったミルクティだったが、またここに来ることはない、というのが私のジャッジとなった
そんなわけでホテル選びには厳しい私であるが、前日に泊まったホテルには満足した
そのホテルはアフタヌーンティをとった高台のホテルから、山奥に車で1時間ほど走った場所にある
山が綺麗に見えるが他には何もない
8部屋しかなく、そのうち4部屋は一棟ずつ独立している
エントランスは、それがエントランスとわからぬほど簡潔なものであるが、そもそもそこはチェックインとチェックアウトの際に起票し、食事の際に通過するだけのエリアであるのでそれで構わない
肝心なのは部屋からのビューである
私が選んだ部屋は、和室と寝室と浴室が一列に並び、各部屋の前を一本の軒が貫く作りとなっている
その軒は20畳ほどのウッドデッキに繋がり、そこに露天風呂がある
露天風呂の隣にはハンモックが置かれ、籐の椅子2脚と丸テーブルもあり、裸のまま使える
周囲には山しかないので、誰にも見られることはない
山しかないので山にしか目がいかない
おかげで、じっくり山を眺める時間が持てた
山は東側にあったので、夕陽が沈んでいくに従って山肌に赤みが増した
日が沈むと山の稜線と空の明度が均等になり、今度は共に蒼みを増していく
そして、その蒼みがさらに深くなると、星が出る
その一連の工程をゆっくり眺めることは、ゆっくり眺めるという意思があれば叶う
だが、普段暮らす都会には、余計なものが多すぎる
仕事があるのは当然だが、なくても座って山だけをじっと見ているのが難しいのは、人は時間に買われているからだ
何もしないということは損失になるので、人は金を払って山奥のホテルに泊まる
自分で金を払って買った時間なら大切にするからだ
そういう意味で旅行とは全くの無駄なことをしているわけだが、その無駄には2種類ある
都会の地上に輝く夜景と、田舎の空に輝く星
どちらを美しいと思うのか?
その問いは間違っている
夜景が見たけりゃ夜景を見ればいいし、星が見たけりゃ星を見ればいい
肝心なのは自分が見たいと思ったか、という一点だ
流行りに煽られてそうするべきだと思っているのか、自分がそうしたいと感じているのか?
その違いは重要だ
汝なすべしと我欲す
この二つにはラクダとライオンくらいの違いがある
金と時間とエネルギーを使うのだから、私は「我欲す」を求める
そうすることで、子供の時に感じた自由な時間に行き着ける