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大切なことは全て人面犬から学んだ

人を人たらしめている感覚とは何だろう?
人は人の言葉を使うから人なのか
人は善悪の感覚があるから人なのか
人は羞恥心があるから人なのか
これからする話は、そんな壮大なテーマを一瞬で理解した、という話である

私は朝起きるとまず口を濯ぐ
寝ている間に口の中で雑菌が繁殖すると聞いたからだ
台所のポットには常時、白湯が入れてあるので、それを一口含んで台所のシンクに吐き出す
私は何の疑いも躊躇もなく、結婚するまでの何十年にもわたってその行為を続けてきたのだが、ある日、妻から、ペーっとやると跳ね返った水が台所の水切りラックに入れてある食器にかかるからやめて、と言われた

そこまで跳ね返ることはない、という不満はあったが、以後、なるべく気をつける、と妻に言い、私はその場を収めた
何せ相手は妻なのだ
反抗していいことなど一つもない

以来、会社のトイレで歯を磨いて、口に含んだ水を洗面台に吐き出すときも、周りに飛び散らないように腰をかがめ、吐く水の勢いを弱めるようになった
一旦そうするようになると、洗面所が濡れているのが気になり出す
そして、世の中にはいろんな衛生感覚を持った人がいるので、どんな感覚の人にも受け入れられる様に努めるのが人の道だと思うようになってきた
しかしある時、私はその人の道から完全に外れた人間に遭遇した

その時、私は会社のトイレで歯を磨いていた
私は会社での歯磨きに時間をかける
まずは普通の歯ブラシで丁寧に磨き、次はデンタルフロスだ
歯を大切にしているという意識がある人であっても、大半の人はここで終わるだろう
しかし私の場合、それは半分の工程をこなしたに過ぎない
私はその次に歯間ブラシを使い、デンタルフロスでも除去できない歯の隙間に溜まったカスを取り出す
流石にそこまでやればもう他にすることはないと思うだろう
だが私は仕上げに、タフトブラシと呼ばれるドライバーの先のような形をしたブラシを使う
それを使えば普通サイズのヘッドでは届かない奥歯のさらに奥にある親知らずまでブラシが届くのだ

全ての工程を丁寧にやると、結構時間がかかる
しかし、会社にいると特にやることがない
なので、どうせなら有意義なことに時間を使いたい
そんなわけで、会社にいると30分くらいはトイレで歯磨きをしている

そうなると、自分が鏡の前で歯を磨いている間に、トイレには、何人もの人が入ってきて、また出ていく
私は誰か入ってくると、それが誰なのか鏡越しに確認する
私を監督する立場の人間が入ってきた場合、私はその場から一旦、廊下に出て、私を監督する立場の人間が出ていったのを確認した上で、またトイレに戻る
私を監督する立場の人間から見た、鏡に向かって優雅に歯を磨いている私の姿というのは、おそらく挑発しているように見えるからだ
なのでこれは、私を監督する立場の人間に対して、余計な仕事を増やさないようにという私の気配りの一つである

そんな駆け引きもありながら、その日、私はいつものように会社のトイレで歯を磨いていた
洗面台の前の鏡からは、横一列に並んだ小便器が見える
私はそこで、人面犬に遭遇した

それは同じ階で働く別の部署の人間だった
すれ違ったことはあるが話したことはなく、話す必要もなく、特に話したくなるような相手ではない
そいつは小便器の前に陣取ると、小便器の上にハンカチを置いた
「なるほど、それが奴のプロトコルか」
長い間歯磨きを続け、鏡に映った自分を見るのに飽きた私は、鏡越しにそいつの行動を観察した
最初にポケットからハンカチを出しておくのは、そいつには、排泄器に触れた手をポケットに入れたくはない、という衛生感覚の表れだろう
私はそういうことはしたことがないので、そこでまた一つ学んだ気になった

そいつはハンカチを置き、準備が整ったことに安心したのか、用を足し始めると、すぐに右にある窓の方を向いた
私は鏡越しに、そいつが見ていた窓の外を確認したが、そこに見慣れないものはない
いつもと同じ、高層ビルの窓から広がる都心の風景があるだけだ
しかし、そいつはその後もずっと右にある窓の外を見ていた

そいつが小便をしている間、ずっと右にある窓の外を向いたままなので、鏡越しにそいつを見ていた私は、そこから目が離せなくなった
すると大変なことが起きた
そいつが小便器の上に置いていたハンカチが落ち、小便器の下の枠に引っかかったのだ

「奴はこの先、どうするんだ?」
と鏡越しに見ていた私は思った
しかし、ハンカチが落ちても、そいつはそれに気づくことなく顔を窓の方へ向けたままだった
「奴は落ちたハンカチにいつ気づくのか?」
私は鏡越しに、固唾を飲んで見守っていた

結局、そいつがハンカチが落ちていることに気づいたのは、小便をし終わった後だった
私が見ていたのはそいつの後ろ姿だったが、そいつは特に動じることなく、便器の下枠に引っかかっていたハンカチを手に取った
多分、小便で濡れたわけではなかったのだろうと私が安堵したのも束の間、とんでもないことが起きた
そいつはそのハンカチを口に咥えたのだ
そして鏡に映った自分から一切目を逸らすことなく、洗面台に向かってやってきた来た

そいつの視線には一切の揺らぎはなく、鏡に映った自分に対し、挑むように大きく目を見開き、手を洗った
その一連の動作には一切の澱みはなく、投げられたボールならどんなボールでも咥えて帰ってくる犬のように、その間、そいつはハンカチを咥えたままだった
そして、ハンカチを咥えたまま、そいつはトイレから出ていった

そいつが去った後、私は激しい虚脱感に襲われた
私は一瞬のうちに緊張し、一瞬のうちに脱力したのだ

その後、しばらく1人で歯を磨いていると、その静寂が私に落ち着きを与えてくれた
私は一応、そいつの立場になって考えてみた

自分は小便器の枠内に落としてしまったハンカチを何の躊躇いもなく口に加えることができるのか?
無理だ
落としたと知ってしまった以上、それはできない

では、枠内ではなく、枠に引っかかっているだけだったらどうか?
いや、これも無理だ
他人の尿がかかっている可能性がある

では、あいつは私にはできないことができる私よりもすごい人間なのか?と考えてみた
確かにあれは私にはできない
だが、それを以てあいつに嫉妬を覚えることはない

そこで、あいつは犬だ、と考えてみた
犬ならば、別にいい
勝手にすればいい
咥えたいものがあれば、咥えればいいのだ

そこで私は悟った
ここまで私を緊張させたのは、衛生感覚の違いである、と
あいつが本当に犬ならば、私には特に感じ入る点はなかった
あいつが人の姿をしていたので、私は衝撃を受けたのだ

人は、相手が人並みの衛生感覚を持っているから相手を人として扱うのであって、その衛生感覚が人のものではないと感じると、相手が人の姿をしていることに対して恐れを抱く
だから、あいつが人面犬なら、それで全て丸く治る
顔だけが人で、体は犬
それが便器に落ちたハンカチを咥えても、犬なのに臭いもの咥えてやがる、と笑っていられる

そう考えると、衛生感覚とはとても重要なものに思えてきた
よく、人として許せない、と言う時があるが、その言い方をする時は、相手が倫理観と衛生感覚に反することをした時だ
汚い真似しやがって、と相手を非難する時、それは倫理的に許されない、という意味だが、言葉の表面上の意味は、衛生的に許されない、という意味だ
つまり衛生感覚とは倫理と同じくらい重要なものなのだ

また、人として大切なことは何かと問うと、嘘をつかないという倫理的なことがトップに来ると思うが、清潔である、ということは、声高に語られることはないが大事なことだ
それは、ゴミ屋敷に住んでいる嘘をつかない正直な人と、整理整頓された家に住んでいる嘘つきとでは、どちらと暮らしたいか?と問うてみればいい
嘘と不潔さ、耐えられないはどっちなのだ?と突きつけるのだ
そう考えると、不潔さと言うのは嘘と同じくら嫌であることが浮き彫りとなる
逆に言うと、清潔さは正直さと同じくらい大切なのだ

すると妻の、シンクにぺッとするな、という苦情も、あながち理不尽なものには思えてこない
妻としては、犬と暮らしているではなく、夫と暮らしているのだ
妻が、あいつは犬だ、と思い込もうとしても私は人の姿をしているのだ

その日の帰り、会社のエレベータに乗り込むと、後からそいつが入ってきた
こっちに来るな、と咄嗟に思ったが、混んでいたのでそいつは私の隣に立った
犬の匂いはしなかったが、私はずっと緊張した


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