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働くことを問われる時代なのか?

「#私にとって働くとは」

noteの作品募集で、「#私にとって働くとは」があり、ここ数日間少し考えていた。 自分にとって働くとは、何だったのだろう、そしてこれからも…

「なんで人って働くんだっけ?」

サントリーの缶コーヒーBOSSのキャンペーンを目にした。


いったい、どうしたことなんだろう? 同じようなキャンペーンがなされるのは、ただの偶然か? 「働く」ことを考えていたので、気になっただけかもしれない。それとも、そういう時代なのかもしれない。そんな雰囲気は全く感じなかった。しかし、自分はTVを見ないし、ネットもあまりやらない。
時代に取り残されているだけなのか?

働くってのは、どちらかというと若い人の為の言葉と思う。定年だ、年金開始だ、いつまで働くのだと思い考えに耽っている中高年には、響かない気がする。

「働かないとは」の方がしっくりくる。

ここで、ふと思ったのは、FIREのことか? 若い人では関心がある人も多いだろう。働かなくても生きていける方法。でも本当は、働いていないわけではない。そりゃそうだろう。

働かないおじさん問題も最近では、流行っている。

本当にそのおじさんは働いていないのだろうか? ものの見方だけの話もあるし、もし働いていなくても、若者はすべて働いているのかという問題もある。組織になれば、ある割合は働かなくなる、そう見える。

もう一つは、働くことが見えにくなっているのだろう。外資のIT系のオフィスなんか見るとここで働いているのか、遊んでいるのかわからなくなっている気がする。

そりゃ、トラック運転して、荷物を載せ降ろしして、疲れた体で缶コーヒーで一息入れる働かたがわかりやすいだろう。

今、働くことを問うのは、わかりにくくなった働き方に違和感を覚えている前世代的な感覚なのか、わかりにくい働き方を自らも認識できなくなって、働くことを問うのであろうか?

いずれにしても、定年族にとっては、「働かない」が重要な話ではあるし、それは働くこととはの問の答えでもある。

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