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日本人は平熱で無宗教ではない

日本人のイメージ

 日本人の多く、特に若い世代は「宗教」を信仰している、という意識はない。イメージとしては世界三大宗教がやはり一番先に来るが、実はこの3つが日本人に対し「宗教」というモノの輪郭を決めさせてしまっているのだ。

宗教へのイメージ

 宗教とはどのようなイメージを持ちますか?宗教、つまり教えとは?ほとんどの人は聖書や経文を唱えているところをイメージ出来ます。そしてこの何かが書かれたものが重要であるというのがまちがった輪郭なのである。

日本人の宗教と平熱

日本人の多くが信仰しているモノは「民間信仰」である。この民間信仰とは経典が無い宗教であり、教えをまとめ、説く組織がいないため、地域や流行によって姿かたちが変わっていく。様々なものに神性を見出したり、ご利益にあやかる為、外から来た宗教の神や行事を取り込むことが出来る、そういった宗教である。日本人が正月の初もうで、バレンタイン、夏の盆、クリスマス、ハロウィン…様々な宗教の行事を行うのは、経典がなく、行う行事を決める組織が無いから新たに取り組めるからである。そして宗教を行う者たちにも熱心さの違いがある。過去筆者が出会った海外の人に、教義的にお肉を扱う料理屋さんで働くのどうなの?と不躾な質問をしたとき「信仰の熱が人や国によって違うからね、おおらかなとこから来たんだ」と言われ納得したことがある。つまり「民間宗教」を説明され、「それでもあんまり信じてないなぁ」と感じる人間がいるかもしれないが、それはただ熱心に取り組んでないだけであり、それが不義であるともしないのが民間信仰である。

何故このような話をするのか?

海外の人と仲良くなって遊びたい。そう思ったことは無いだろうか?筆者は突如そう思い、学生時代の何となくとっていた講義を思い出し、ノートを掘り出し、記憶をまとめるためにこのnoteを執筆したのである。海外の人が進行している宗教を尋ねるのは宗教そのものを訪ねているのではなく、自らの行っている行動の意味を聞いてきているのだ。故にそこでお寺やバレンタインを行ってながら「無宗教です」と答えるのは、「え?」となるのである。何故なら無宗教という物はセツメイスルノガスゴクムズカシイがとりあえず「そういった信仰をしている人と似たようなことをしているのに、信仰が無いの?意味がないことをしているの?」となるのだ(無宗教と無神論に違いは、無宗教は宗教の教えではないが神を信じている事であり、無神論は神を認めない事である)。

日本人は平熱で無宗教ではない

上手く筆者が思い出せたであろうか。もちろんお家が葬儀等でそういった宗教を信じているならばそれを答えればいいが、ハロウィンやらバレンタインではっちゃけているなら、海外の人には「民間信仰です」とすれば問題ないだろう。

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