自分探し

ADHDについて

僕はADHD(注意欠陥多動性障害)だ。注意力がなかったり、落ち着きがなかったりする発達障害だ。自覚はあった。子供のころから、人と自分は何か違うと思っていた。小学校時代は忘れ物が多く、先生によく叱られていた。落ちつきがなく、授業中かどうかにかかわらず常にしゃべっていた。人にはすごく好かれることもあった反面、めちゃくちゃ嫌われることも多かった。

好きなことにはフロー状態になって徹夜して取り組めたが、興味のないことは全くできない。とにかく振れ幅が大きい人生だった。

対策

僕も何もしなかったわけではない。何とか普通の人にになろうと、頑張った。

忘れ物が多いので、連絡帳を書いて忘れ物をなくそうとするのだが、連絡帳を見るのを忘れたり(笑)

どうしようもないので、僕が編み出した方法はというと、忘れ物をしないようにカバンの中にはいつも全教科の教科書を入れていた。これは中学生まで続いた習慣だ。(高校は置き勉がありだった)このおかげで忘れ物は劇的に減ったが、宿題をするのを忘れることは最後まで治らなかった。笑

左手の甲にはいつもメモがわりの謎の字があった。その場では覚えておかなければと必死に書くのだが、字が汚くて後で判別ができなかったり、横着して最初の1文字しか書かなかったため意味不明であったり、お風呂に入って消えて読めなかったりと意味のないことこの上なかった。笑

小・中・高校

性格は小学校まではとても明るかったが、できないことも多く、中学・高校になると、そんな自分が浮き始めた。次第に学校が嫌になって、高校時代になると学校にほとんど行かなくなってしまった。発達障害を持つ人は、社会に適応できなくて鬱になることが多いそうだ。辛くて病院に行くと鬱の薬をくれた。楽になったが、薬に頼るようになった。

社会人編

社会人になり、病院に行く暇もなく、しばらくは薬を飲んでいなかった。仕事が夜中まで終わらず、忙殺される毎日だった。そんなある日、不注意から大きなミスを連発してしまった。注意力が必要な仕事を任されて、注意欠陥多動性障害(ADHD)の自分にはキャパオーバーだった。興味のないことはとことんできないのだ。仕事をつらく感じ、また病院に行くようになった。そこで出会った医者に、ADHDと診断された。診断を受けたときは内心ほっとした。うまくいかないのは自分の努力不足だけじゃなかったんだ。良かった、と前向きになれた。

ADHDの薬を飲んでからは、精神的にも安定していた。心がざわつかない、凪のような状態がずっと続いた。注意力が上がり、仕事も前よりミスなくできるようになった。能力的にはとても上がった。でもずっと心の中に、本当にこのままでいいのか?という気持ちがあった。こんなの自分じゃない。これじゃまるで仕事をこなすだけのただのロボットだ、と。薬の効果で、脳内物質のセロトニンの量が増え、心が落ち込むことはなくなったけど、その分幸せを感じる気持ちも同時になくなった。人格を変えてまでして仕事をしなきゃいけないことに嫌気がさした。不安も喜びも何も感じない、こんな人生でいいんだろうか。この気持ちは日に日に強くなった。

薬を飲みたくない

次第に薬を飲みたくないと思うようになった。薬を飲めば人格が変わる。できれば薬に頼らず、本当の自分自身で生きていきたいと思うようになった。

でも薬を飲まずに周りに迷惑をかけずに生活していくにはどうすればいいのか。薬を飲まないとまた不注意からのミスが増えて、いやでも周りに迷惑をかける。飲みたくない気持ちと、飲まなければ働けない気持ちの狭間で葛藤した。

自分の出した結論は、社会とある程度距離を置いて生きていくしかない、ということだった。距離があれば迷惑をかけることもない。
社会と距離をとるためには会社に属さず、自分自身で自立して生きていくのがベストだ。それができなければ薬を飲まずに生きていく道はない。そんな気持ちから、この自立への危機感は人一倍強くなった。これしか生きる道はないと思った。

生きる道

なんとかして会社に頼らず生きていくため、お金に関する本を貪るように読んだ。次第に投資や不動産に対して興味が湧くようになった。そういえば自分は昔から、興味が湧くことにはとことんハマるタイプだった。今は投資や不動産のことを考えていると、楽しくて楽しくて仕方ない。

投資を通してお金に少し余裕ができると、心にも余裕ができた。だから今は思い切って薬をやめた。ミスをすることもあるが、それも含めて自分だと感じている。以前のように、喜びも悲しみも強く感じる自分に戻った。それでいいと思う。これが僕なんだ。

いつか会社を立ち上げて独立したい。本当の自分でいられる居場所は自分で作ることに決めた。僕もまだ道半ばだ。

最後に

今苦しんでる人、薬を飲んで何とか普通の人になって、社会に適応しようとしてる人の気持ちはよく分かる。僕もそうだったから、医者の診察の元、薬を飲むことで前向きになれることはよく分かる。

でも僕は薬があって何も感じない人生と、薬に頼らず苦しみも悲しみも喜びも感じる人生なら、後者を選びたい。

人として生きて、人として死にたい。


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