マガジンのカバー画像

連載 対応力 精神疾患とうまくつきあう方法 全21巻

21
私自身30年以上双極性障害に翻弄されてきました。 私の経験が似た境遇の方々の助けになればと思い筆を執りました。
運営しているクリエイター

#対応力

連載① 対応力 精神疾患とうまくつきあう方法

はじめに 一口に精神疾患と言っても様々ですが、 みなさんは、双極症という病気をご存じでしょうか?古くはそううつ病とも呼ばれ、うつ病とも似た症状がありますが、全く異質な病気で現時点では完治しないとされている難しい病気です。 でも、この病気は服薬と生活習慣に注意することによって通常と変わらない生活が送れます。 この病気に30年以上翻弄されてきましたが、 同じような精神疾患で苦労されている方々の何かの参考になればと思い私の遍歴を綴っていきます。 次回から具体的な内容に入りま

連載⑦ 対応力 30代最初の長期入院 その1

1997年12月1日から1998年4月20日まで約半年医療保護入院しました。特に最初の一二週間は独房に隔離されました。本人の安全確保ももちろんですが、それ以上に他人に危害を加える恐れもあるため、食事やお茶も鉄格子越しのやり取りで、将来のことなど考える余地はありませんでした。 開放病棟に移ってからも療養以外にすることがなく、10年日記帳をつけ始めました。当時はもうこの病院から退院できないと思い込んでいました。 せめて10年は生き延びたい。 そんな気持ちから始めた日記は、お

連載⑧ 対応力 30代最初の長期入院 その2

せっかく始めたこの仕事ですが、通勤に車で片道45分かかっていました。この仕事は長く続けられないと思うようになり、仕事をしながら同時進行で行政書士の資格に挑戦したり、医療事務の資格にも手を出しましたが、世の中はそんなに甘くなく、生兵法は大怪我の基の言葉通りどちらも形にならず、そのまま勤務がずるずると続きました。 結局2004年3月まで約5年間在籍はしましたが、勤務状態はさんさんたるもので、薬が睡眠薬を含めてなかなか合わず、体調も好不調の波が激しく遅刻早退欠勤の繰り返しが続き、

連載⑨ 対応力 30代最初の長期入院 その3

仕事の内容は、駅前近くの事業所を10数か所回って差し出された荷物を軽ワゴンで集めてきて、伝票処理したのち発送部署に送る役目でした。 15時から20時の勤務で当時朝の弱かった私としては追い風になりました。職場での人間関係も順調に丸3年勤務できました。 しかし、この職だけで定年までというイメージが湧かなかったので、何か手に職をと思いつきどうせなら他人のやりそうにないことをと考え、マルセイユタロットの資格を取ることにしました。 2006年10月からアストロロジーの講座も受講し

連載⑩ 対応力 30代最初の長期入院 その4

そして、2008年3月20日から25日の6日間、大阪桜ノ宮での上級コースを受講。フランスから大家を招いての本格的なもので、郵便局の有給休暇を取っての参加でした。その際に、同時に受講していた方との縁でアロマオイルとオーラソーマに遭遇。 今にしてみれば、この二つが私の人生を大きく狂わせることになりますが、当時の私はそんなことは知る由もなかったですね。 どちらも医薬品ではないものの、体に与える影響は良くも悪くも大きかったようです。皮膚に直接触れてもよいとのことで、体に塗布してい

連載⑪ 対応力 40代2度目の長期入院 その1

2008年6月19日から2009年10月6日まで、都合4回入退院を繰り返しました。日記帳は継続中で11年が経過して2冊目に入っていましたが、入院中は空白のページがあちらこちらにあり、何の治療を受けているかさえ自分でもまったく把握できませんでした。 最初の入院は一か月強で7月29日に退院しましたが、仕事に復帰しても手順が頭に入らない状況に陥りまた躁状態に。 8月9日から11月11日まで再入院して2回目の退院。しかしこの時すでに、両親が現在の仕事を続けるのは無理と判断してしま

連載⑫ 対応力 40代2度目の長期入院 その2

さらに状況が悪化して11月26日に3度目の入院。ここから約半年の長期の入院に入ります。年を越し誕生日のころまではまだ状況がそれほど悪くなかったですが、 2009年2月にmECTという治療を受けました。しかし、これは日記帳に記してあったのでわかっていますが、当時の記憶は全くなく全身麻酔を施していたからだと今は理解できていますが。 3月に入って、病状がかなり改善してきて、月に1,2回の外泊ができるまでになってきていましたが、過去の状況から退院まではさらに時間を要することとなり

連載⑬ 対応力 40代2度目の長期入院 その3

ゴールデンウィークが明けた5月11日、3回目の退院。私も周りももう大丈夫と思っていたが5月27日あえなく4回目の入院。 入院時は、任意だったものの4日目に看護師とトラブルを起こして医療保護に強制変更、1週間の独房生活に。 その後順調に回復して、7月14日に開放病棟に変更。ところが、主治医と薬のことで揉めて、それが原因かどうかは定かではないですが8月7日古い方の閉鎖病棟へ転棟、8月26日になってようやく別の開放病棟へ転棟。10月6日にやっと4回目の退院。 私でなくてもそう

連載⑭ 対応力 40代2度目の長期入院 その4

そして、2010年暮れから新薬のラミクタール導入に突入。今まで飲んでいたリーマスをいったんストップする荒療治でしたが、案の定、切り替えに失敗して強烈なウツが出てしまい2011年4月8日から5月31日まで入院。  この時もmECTを受けましたが、7回処置でその都度絶飲食と全身麻酔と点滴。この時の記憶はまだ残っていますが、2009年当時の記憶が全くないに今更ながら恐ろしさが拭えません。 ひょっとしたら苦痛軽減のため、主治医が何かしらの処置を施したのではないかとの疑念が今もあり

連載⑮ 対応力 40代2度目の長期入院その5

そんな中2013年4月から、デイケアの紹介で俗にいうA型作業所のビジネスホテルの清掃メンテナンス作業に従事。しかし半年で躁状態に陥り9月28日から10月29日入院。 11月1日に退院の手続きをしてくれた父親が外出先で倒れ意識不明に。そのまま入院して手術も受けることに。休肝日もなくアルコールの過剰摂取がたたって肝臓胆嚢は変成していて手術の後、組織片も見せてもらいましたが、胆嚢は正露丸のような石でびっしり埋まっていました。 その後話すこともままならなくなり転院が続き、父親の看

連載⑯ 対応力 心相科学との出会い(講師時代)その1

タロットと占星術の基礎知識は持ったものの、経営的センスの皆無な私にとってはこれをそのまま実業に結びつけることが難しく、タロット以外でもっと確実な資格はないかと探して、2014年6月に心相科学の門を叩きました。 心相科学とは、宮城悟師匠の創始した体系で誕生日から81種類の心相数とよばれる3桁の数字を導き、性格情報、相性情報、運気リズム情報を紡ぎだすもので、その精緻さには私も今もって驚きの連続です。 著書の出版社にFAXして師匠の連絡先を確認。すると師匠から直接連絡がありとん

連載⑰ 対応力 心相科学との出会い(講師時代)その2

父親の状態は、小康状態が続いていたのですが、なかなか活動を開始できずにいる間に、2015年3月17日父親が亡くなりました。相続その他で忙殺されしばらく頓挫していましたが、2015年8月から駅西口のレンタルスペースで、心相科学のセミナー講師デビューを果たす。 初級講座5回、中級講座2回と順調に進んでいたのですが、何たることか年末になって躁状態に陥り、開講不能の状態になり水の泡に。 つづく

連載⑱ 対応力 心相科学との出会い(講師時代)その3

仕事帰りの社会人をターゲットにしていたせいもあって、夜の生活がだんだん長くなり、睡眠時間の極端な減少が原因だと後になって頭の整理はついたものの心相科学の知識があれば、病気は再発しないという信念は、あっさり粉々に打ち砕かれました。  2015年12月21日から閉鎖病棟の独房に入り、年明けの2016年1月23日に退院。この日は東京での国際心相科学協会の新年会でしたが出席はかなわず、この年は軽躁状態がずっと続く感じで仕事復帰はなかなかできず一年経過。 つづく

連載⑲ 対応力 現職に就いて その1

2017年1月外来で見かけた障害者枠の就職説明会に応募。面接をあっさりクリア。障害者枠のこともあったと思いますが、2月から即採用。 途中2週間ほどの入院がありましたが、おかげさまで仕事にもスムーズに入ることができて定着。最初は正社員の方と同じ部屋で若干緊張していましたが、途中から障害者のみの部屋になりリラックスできたのも大きく、2020年8月1日現在、丸三年半経過。 仕事内容は、全国の店舗と直結したパソコンのモニター映像を見ながら、店内の衛生状況を確認していく作業で、内線