過去を振り返る
子どもの頃の記憶を辿ろうと、ちょっと試みた。
何気に面白いエビソードあるはずなのに、出尽くし感が半端ない。そう言えば、父の臨終間際、病院で何日も昔話をしたっけ。CCUって名ばかりの病室で、長い積もる話をした。そうしたら父は三度生き返った。初めの時は、ものすごく動揺してしまって、涙ながらに父に話をかけた。そうしたら息を吹き返したのである。
そのあと思う存分、父とわたしたち姉弟の昔話をしてしまったのである。ときめくような、輝くような話ではない。ありきたりの昔話。もちろん息を吹き返すのは、その話をしたからではなく、応急措置が取られたからで、フットボール型のバルーンのようなもので人工蘇生が行われて、一命を取り留めたのだ。
本当にそれで良かったのかは、分からないけれど、家族は一命を取り留める度に疲弊していった。でも初めての親の死。尊厳とかいろいろあるだろうけど、取り敢えずは生きたいと思うだろうから、父を助けて欲しいと願った。四度目のとき、父は弟に話しかけた。「もう駄目だと。」酸素吸入のマスクをつけていたので、はっきりとではないが、そう言っている感じがした。
それまでに恐ろしいくらいの量の昔の話を、走馬灯が駆け抜けるように、父に語りかけたのだ。個室でもないのに、迷惑な話である。病院側へ「個室を」とも言ったのだけれど、最期まで願いは叶えられないまま父は逝った。
三人ついている筈の、主治医たちは一人も居なかった。若い女性の研修医が事務的に死亡診断書を書いてくれた。わたしたちは、もうこの病院には二度と行くまいと誓って、迎えにきてくれた車で父と病院を出た。
思い出すと、そんな話くらいしか思い浮かばない。
余程、そのことがわたしの中に影を落としてしまっているのだと思う。弟はあの時のことは、考えても仕方ないと言う。やっと口に出して言えるようになった。「もっと方法があったんではないだろうか。」「病院の選択をちゃんとすべきだった。」と。2016年11月のことである。
帰り道、父の思い出とは若干異なるが、運転手が気を利かせて湘南の海側をドライブしてくれた。未だにそんなことを思っている。
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