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意識と根源|究極のシンプル。イーシュヴァラとは

おつかれさまです。
ヨーガ・スートラでは、瞑想によって明らかになる「本当の自分」をサンスクリット語で「イーシュヴァラ」への帰依によってもなされる。と記されています。

至上意識、宇宙意識、自在神、などと言われるイーシュヴァラですが、科学用語では「ゼロポイントフィールド」仏教用語では「無、空(くう)」にあたると思います。自然も魂も時間も超えた「いまここ」なにもないけれどすべてある。という根源のフィールド。

万物の本質を織りなす生命エネルギー(氣・チャクラ)は、体質や修練により体感が可能ですが、ゼロポイントフィールドは感覚では分かりません。変化するものは、あらわれては消える波のようなものとして実感できますが「常にあるもの」は、個の意識「観測(確定・認識・・)」の範囲内を当たり前に生きていると、どうしても気づけません。


範囲(壁・制限)が外れたときにあらわれる分離のない大いなる何か。


確定(観測・制限)されなければ、無限の可能性しかありません(パラレル、波)。観測する観測されるといった主体客体が生まれる前は根源の「ただ在る、観測(静寂・気づき)」意識全体があるだけ。するされるはありません。確定したときに「そのように感じられる」だけ。

このようなことは、言葉であらわそうとするとどうしても難しく聞こえますが、逆です。【究極のシンプル】
 自然の風景や目の前に見えるもの、聴こえる音(バイブレーション)自分の身体の一部も勝手に目に耳に飛び込んできます。個人が創り出すことはできません。ただ在るありのままのそれ、普通の当たりまえのそれが根源の意識のあらわれのかけらです。
 なにもなくてすべてある意識(ゼロポイント)が実在ありのままを創り出し、制限された(個の)意識は「人生(思考、こころ、物語、カルマ)」を創り出しています。

この記事は『読むだけで』固定概念(観念)がはずれ本来の意識に戻りやすくなるよう、想いを込めて書いています。最後までお読みくださりありがとうございました♡


hiroco🧘‍♀







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