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6月は人生の大きな山場だった


5月の終わりに今年の初めから絡んでいた厄介なことから手を引いた。
そして、6月に入り、理科まちやで合宿。
次の週も鎌倉で合宿。
学びとは何か。
語り合う仲間も増えた。

そして園芸療法の学びも続いていく。
田んぼの活動も畑の作物の生育も進んでいく。

横浜で、環境活動についてのご褒美もいただく。

その環境活動の先の話も出てきた。
行政との動き。

それと並行して、私は草木染を学びにつなげることを考える。
環境との動きにもつなげる。

爆発的にいろいろな動きが出てきた。

自分だけでなく、婿や娘の動き、息子の動きもおもろくなってきた。

そんな中で、noteにすら辿り着けない日々。

そして、そんな動きがあると必ず、立ち止まりなさいという暗示が出てくる。

その暗示を示してくれる誰かは、必ず、嫌な感覚を携えている。
面白いくらい。
その約束に向かうときに必ず妨害が入る。
あっ❗️行っちゃダメなんだ。進んでいるはずなのに、
絶対間違えないだろう道なのに違う道に曲がる。
そんなことがあった先で、面白いくらい、
私に助けてと共依存を仕向けてくる人たちがやってくる。
だけど、ご本人は私を助けたいんだって。

本当に助けてくれる人は、自分から助けたいなんて言ってこない。
私の今までの人生経験の中で、
「ひろさんが叫んでいるみたいなので、助けてあげたい。」なんて言ってくる人は大抵ダメなんだよ。

もうわかった。
一緒にコラボしようとか、すぐに家に来たいとか、
私が違和感を感じることはnoと言っていい。

私は両親との介護のことや、いろいろな戦後の日本社会が抱えている家族問題について、自分なりに解釈をしつつ、いつか研究対象になるんじゃないかと思いながら、生きている。

クルマの娘という小説の一説に
『あの人たちは私の親であり子どもなのだ』という帯にか書かれているのがあるんだけど。それなんやね。私の家族関係は。だから、悩んでいるけど、書くことで解消していて、まあ、これからもいろいろあるだろうけど、そんなの大したことないと思っているわけなの。

リアルに生きてきたことが、全て壮絶だった。
その中で、目の前でなくなっていった姑や従姉妹の思いや、その命が消える瞬間を体験したことが一つひとつ自分の中で消化されていっていて、
やっとこここまで生きてきた。
そこで、今更いろいろアドバイスって何?
もう生きていることだけで儲けものなのにさって思う。

こわい世の中だよ。
学生時代、『〇〇研』には関わったらあかんといろんな人に教えてもらった。
京都は学生がターゲットだったからね。
そんな人が身の回りにいるとは思わなかった。
そんな話がいろんなところから聞こえてくる。
平和じゃない報道が盛んにされているし、
感染症も一向におさまらない。

だからなんだろうね。

恐怖を煽るわけさ。

しようがない。私たちは近代社会の中で生きているだけだから、
その中でできることを考えるしかないのだ。

ということで締め括られた6月。

7月、走るよ。
人生も走る。
リアルでも走る。

お金を人生の中心においてはいかん。
人生の中心はオモロ。


そしてしいたけさん。今見返すと、当たっているよ。手放すことも大事。
ありがとう。


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