大学生と読書

森信三『修身教授録』致知出版 第9講 読書

「君たちは読書をしますか?私のゼミに~さんという4年生の学生がいまして、その子は大変な読書家です。その子は、本を読むとパワーポイントにその本の内容をまとめて紹介しているのです。その子は卒業までにおそらく大きな本棚1つ、2つ分の本を読むことでしょう。ということは、全く読書をしてこなかった人と比べると、本棚1つ、2つ分の知識や知恵に違いがある人になるということなのです。」

こんな話を大学の教授がしていたのを時々思い出す。
大学生活の前半にこの話を聞けたことはとてもありがたかったと思う。
休み時間にはよく大学の本屋に行った。
面白そうな本があれば立ち読みして買って読んだ。
帰り道に古本屋があったので、時間があれば立ち寄り、面白そうな本があればよく読んだ。
教育書、ビジネス書、文庫本の一般教養系など様々なものを読んだ。
幸いにも、父も読書家であり「本代をケチるな」と教えてくれていたので、大学での読書にかける費用をケチったことはない。
かくして私には読書の習慣が形成されていったように思う。

読書は心の栄養。
中学校でもそういわれたが、あまり読む気はしなかった。
何せ小説等があまり好きではなく、学校の朝読書はもっぱら辞書を読んでいた。
森信三先生は次のように言われる。

ところが、「心の食物」ということになると、われわれは平成それに対して、果たしてどれほどの養分を与えていると言えるでしょうか。からだの養分と比べて、いかにおそろそかにしているかということは、改めて言うまでもないでしょう。

P62

その通りで多感な時期に心の食べ物を与えられなかった自分が情けない。
高校生の頃も読まなかった。
読み始めたのは大学からなのだ。
教育に関心をもち、いい先生になろうとおもっていた自分にとって、初めて読書に目的ができたのだった。


特に苦しい時期、読書に支えられたのが、教師生活3年目の後半のことだった。
私は担任していたクラスの生徒指導がうまくいかず、当時の学年主任との折り合いも悪く、また管理職からの援助もあまり受けられず、教師生活最も苦しい時期を送っていた。
そんな時、大学時代にいただいた、向山洋一『教師修行十年』に支えられた経験がある。
そこに次のような文章がある。

そして、きっぱりした口調で「僕は教師に悪人はいないと思う。少なくとも僕は悪人の教師を一人も知らない。僕の教わった教師はみないい人であった。ただし、鈍感な教師は多すぎる。」と言ったのだった。

向山洋一『教師修行十年』明治図書

あぁ、完全に自分のことだと猛省したものだった。
ある子との関係が崩れたのも、自身の鈍感さが原因であり、おごりがあったことを痛感したのだった。
自身の至らなさの原因に気づかせてくれるとともに、改善の方向の勇気を与えてくれた。
そこからは自分の鈍感さ、弱さと向き合い、自身の教育を変えていくことになる。
私を救ってくれた文章だった。

このようなつらい時期に支えてくれたのは、もちろん同僚であり、家族であり、こんな自分にもついてきてくれた子どもたちであり・・・。それでも読書から学ぶことは多い。

同様に、人生の深刻切実な経験も、もしこれを読書によって、教えの光に照らしてみない限り、いかに貴重な人生経験といえども、ひとりその意味がないばかりか、時には自他ともに傷つく結果ともなりましょう。

P63

読書が人生を支えになる。
大学時代に読書の経験があったこと、多くの本に出合えたことに感謝している。
このような経験を事実として学生たちにも伝えていきたいものだなぁと思う。

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