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あの人ならどう行動するかな?と考える

森信三『修身教授録』致知出版社 第28講 一人一研究

諸君らの研究は、希くばかかる骨董いじり的な研究ではなくて、ずばりと身を跳らして、一躍直ちにその内面界に飛び込んで、そこに永遠に生きている生命をつかみ、さらにはそれを、現代の形態にまで展開してくるのでなくてはなりますまい。

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大学時代、社会科教育法の授業で、有田和正先生と向山洋一先生の立会授業の動画を見た。
まだ大学生だった私はただただ有田和正先生のクラスの子どもたちが先生がほとんど何もせずとも、大名行列の絵を読み取り、歴史的に解釈をし始めている姿に衝撃を受けた。
向山洋一先生は教師の発問によって、統計資料の意図に気づかせていく授業であった。いわゆる当時私の大学時代には話題となっていたメディアリテラシーの課題をかなり前に実践され、授業化されていたことに衝撃を受けた。

これが名人なんだ。これが教師としての最高レベルの高みなんだ。

それからというもの、大学の帰りにはいつも古本屋によって、お二人の著作を探しては買って読んでいた。
教師になったら2人のような教師になりたい。
追究の鬼を育てたい。
プロ教師としてどんな領域でも子どもたちに力をつける指導がしたい。
そんな思いをもって大学時代を過ごし、教師になった。

教師になって、うまくいかないことが連続する。
その時、憧れている先輩がいた。
その先輩なら、どうするか考えて指導をするようになった。
そうすることで困難さを乗り越えていった。

そのあたりで、そうか!憧れた名人たちならどうするか考えたっていいんだ!と気が付いた。

本で憧れた人たちもメンターにし、メンターならこの場合子どもたちにどう話すだろう。
職員室でどうふるまうだろう。
こういうことを考えながらやるようになったのである。
そうすると、やっぱりうまくいくことがぐっと増える。

冒頭で引用した森信三先生の、現代の形態にまで展開する、ということの一つの要素になろうと思う。
そして、その学びを具体的に検証し、またそのメンターの精神性にまで思いをはせる。
こういう研究方法もある。

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