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罪と罰

歩く女性自身

今朝、夫に「歩く女性自身」と呼ばれた。広末涼子の流出した手紙は、勿論私に衝撃を与えている。

人類にとって不倫という命題はミステリアスだが、あの手紙は稚拙極まりなく人類史から不倫がなくなることはないと確信した。40代の家庭を持つ成熟した男女が恋愛をすると思春期の少年・少女みたいに幼稚で自己中心的で、より破壊的に恋に溺れるのだと目前にした。気持ちが悪くなった。

ただ、あの生々しい文章は与謝野晶子並みに文学的であるとも思う。生々しい広末涼子の純粋な純度100%の欲望が何の飾り気もなしに露骨に表現されており純文学の匂いもする。

リアルに痴人の愛、みたいだ。

一方、列島中、あの手紙をきっかけに祭りのようにもなっている。サイバー型「石打の刑」が挙行されているみたいだ。

古今東西、姦淫の罪にはむごい刑が与えられてきた。現代はネット上で市中引き回しの刑に遭うのかと思い知らされる。何と野蛮な人間の性質であろうか。

人間が道徳的であろうとする限り、理性で生きようとする限りは、このような刑や罰は何らかの形で維持されるであろう。これが不倫の本質であり代償でもある。

お子様たちやご家族が気の毒で仕方がない。

閑話休題。

となりの不倫ちゃん


職場でドラマ「あなたがしてくれなくても」が話題になり、ちょっとTVerで拝見し世間話をしていた。世界に不倫は充満していて、隣の席の同僚もかつては常習犯だったというありふれた話だ。

一度ならず何度か重ねて悪さをしてきて、夫も全て知っているというのに、全く悪気もなければ、反省している節もない彼女に面食らった。逆に武勇伝くらいな強気な気持ちでfacebookで相手の男を見せてくれたりした。こんな凄腕が同僚なんだから、仕事の悩みが尽きないわけだと思った。

現在、うちの部署は難しい症例を抱えているが、彼女「事故が起きればいい。そうすれば上層部を困らせることができる」って昨日言いやがって、やっぱり不倫を繰り返すような人は言う事が違う。仕事の仕方も違う。どこまでも果てしなく自己中心的なんだと改めて思い、ちょっと彼女とは距離を置かなくてはと思ったわけだ。

でも、でも

でも、私、歩く女性自身として巷の男女の不倫ネタを追いつづけます。そして不倫をする男女の末路、生きざま、死にざままで注目していくわ。






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