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Oddworld Inhabitants 異端デベロッパーの冒険① 『エイブ・ア・ゴーゴー』から『エイブ99』まで

もっぱら音楽の話題が多い当noteだが、研究の対象は「インディーズ精神」あるものである。筆者にとってのそれは「DIY」、「日々の営みとしてのアート」など色々と形容できるが、中には裸一貫から業界に食い込み、内側から旧態依然とした慣例や常識を破壊せんとする者もいる。ローン・ラニングはその典型だ。彼がアートを通して伝えようとするメッセージはこの世界を支える不平等とそれへの反抗であり、その依り代にプレイステーションやXbox(マイクロソフト)を選んでいる。
ラニングがシャーリー・マッケナと設立したOddworld Inhabitantsは小さなビデオゲーム・デベロッパーで、デビュー作『Abe's Oddysee』は北米市場でヒットを記録し、プレイステーション・ミニでも収録タイトルに選ばれていることからもその人気がうかがえる(ちなみに日本版には未収録)。ここ日本でも『エイブ・ア・ゴーゴー』としてローカライズされ、現在でも動画サイト上で実況プレー動画が上げられている、定番の一本だ。気鋭のデベロッパーとして注目を浴びたOddworldだが、その後はXboxへの鞍替えや事務所の閉鎖を経験し、一時はゲーム業界から手を引いていた。だが、2010年代になると小さなインディーズ・デベロッパーと共に過去作のリブートを手がけ、変わらぬ反骨と皮肉のメッセージを山盛り抱えて大舞台に戻ってきたのだ。PS5のローンチタイトルにOddworldの新作『Oddworld:Soulstorm』が含まれていたことは記憶に新しい。
窮屈で偏屈な世界への挑み方は様々で、真っ向からぶつかっていくことだけが抵抗ではない。しかし、上に書いたように、ラニングとマッケナの二人は「クリエイティビティ」なんてものだけでは到底やっていけないビジネスの世界の中で、あえてアーティスティックに見栄を切ってみせるのだ。大きな回り道をしつつも25年以上にわたって、それを続けている。筆者はここにインディーズ精神を見るのである。

98年当時に10歳だった筆者は「いかにも洋モノなヴィジュアル」と「エキゾチックな世界観」から、『エイブ・ア・ゴーゴー』がRareの『スーパードンキーコング』や、Naughty Dogの『クラッシュ・バンディクー』シリーズの親戚に見えたのだった。その予感は的中し、それどころか、ゲームからメッセージ性のようなものを感じた最初の例になった。数年後にインターネットでこのゲームについて調べてみたら、数こそ少ないが熱狂的なファンがこの日本にもいるということがわかったのだ。長くなるので割愛するが、この経験が現在の研究、書籍化も見据えた執筆の動機にもなっている。この記事を含めて全3回、Oddworldの沿革、その山あり谷ありの冒険を書いていこう。日本語化されていない情報だらけなので、それだけでも意義はあるはずだ。

アーティスト見習いローン・ラニング

ローン・ラニングはマンハッタンにあるSchool of Visual Artsでアートを学んでいた。彼は抽象的なファインアートが人の想像力を刺激するという伝統を信じていたが、同時にスーパーリアリズム(「現実の写生ではなくカメラという機械が捉えた写真をあらためて機械的になぞる手法」-『現代美術用語辞典ver2.0』より引用)の技法を探求しており、同主義を入り口にコンピューター・グラフィックスの分野へ目を向けていた。ChalexによるThe Cars「You Might Think」(1984)のMVは彼が初めてCGの魅力に気付かされた映像である。

21歳のころにSchool of Visual Artsを中退したラニングは、芸術家ジャック・ゴールドスタインのスタジオに出入りするようになり、彼らからコマーシャルでないアーティストたる姿勢を学ぶ。ゴールドスタインは彫刻などのファインアートで有名だが、映像作品やレコードを自主製作するDIY作家としての生き方がラニングに強く影響を与えた。回り道としての仕事はあれど、最終的には自分の表現したいことのために創作するということ。それがラニングのモットーになった。その後、カリフォルニアのCalifornia Institute of the Artsに編入したラニングは、キャラクター・アニメーションの学士を取得し、卒業後はTRWに就職する。TRWは航空宇宙事業にまつわる企業で、宇宙観測所に使われるシステム開発の分野で古くから展開する一流企業だ。宇宙船からミサイルにまでその技術は費やされ、あらゆる面で愛国的システムエンジニアたちのメッカとなっている。当時はロナルド・レーガン政権で、共産国側への圧力としてミサイル巡行に力が入れられており、TRWもそれに大きく貢献していた。ラニングは他の分野に従事する一技術者でしかなかったが、自分の真反対にあるシステムとイデオロギーの一部になることは、彼のトラウマと同時に創造性の源にもなった。

美術志向の強いラニングにとって、テクノロジーとは新しい表現を生み出すものだった。CGやAIの分野は常に彼にとっての最先端であり、不可能を可能へ一歩近づける手段だった。映画を理想のメディアとみなしていたラニングは、本格的に業界へ近づくためにハリウッドへ移り、Rhythm & Hues Studiosに就職する。RH社は87年に設立されたヴィジュアル・エフェクツ系企業で、著名な仕事にはコカ・コーラのCMや子豚が主人公の映画『ベイブ』がある。ラニングはこの二つにも関わっている。

ハリウッドを目標に定めていたラニングは、そこに至る階段としてゲームを選んだ。もともとはゲームセンターで遊ぶ『怒』(1986)くらいしか興味のなかったメディアだが、たまたま手に取ったアタリのゲーム(恐竜がジョイスティックの方向に合わせて移動するというものだった)に驚いたラニングは、このインタラクティブ性が新たな主流メディアになることを予感し、映画に匹敵するほどの興味を抱いた。
ゲーム業界に繋がる縁が早くに出来たことも大きかった。ラニングの友人であるプログラマー、ジョシュ・ガブリエル(DJであり、現在でもGabriel & Dresdenとしてダンス・ミュージックをリリースしている)は、Virgin社のゲーム部門、Virgin Gamesの依頼でアルバムを作ったトミー・タラリコをラニングに紹介した。タラリコづてにVirginの顧問と面会したラニングは、彼らが手をつけているゲームを目にして「映画の世界の住人がゲームを作れば、もっとすごい映像ができる」と確信する。

今よりもずっとビデオゲームの地位が低かった時代なので、ラニングの周りに理解者は少なかった。彼には味方を作る必要があった。
ラニングはRH社の仕事を介して、当時同じVFX系事業のプロデューサーを務めるシャーリー・マッケナと出会う。マッケナは80年代後半の時点でUniversal社に勤務しており、89年の『ビルとテッドの大冒険』にも関わっている。映画事業、とりわけハリウッドは彼女にとって資本主義を煮詰めた合戦場であり、非常に居心地が悪いものだった。女性差別や労働者へのダンピングが確かに行なわれ、マッケナの業界不振は90年代の時点で頂点に達していた。従業員を「employeer」と形容することを控え、女性労働者の権利向上を訴えるマッケナにとって、ラニングのリベラルな考え方は魅力的なものであったが、彼の目指している地点がゲームであることは問題はだった。かねてからマッケナはビデオゲームの暴力描写に警戒していたのだ。ゲームの世界では、時に暴力を働き、悪人とされる存在になることでプレイヤーが報われる。ゲームの醍醐味でもある疑似体験とインタラクティブ性がもたらす不均等な力関係は、マッケナが優先的に距離をとっているものであった。また、ラニングが見せてきた当時の「革新的な」ゲームが『Doom』であったことも運が悪かった。このゲームは技術的な意味でも道徳的な意味でも業界を騒がせたからである。
ラニングは実に2年もの月日をかけてマッケナを説得した。学生の頃から暖めていた壮大なサーガ。そこに連なる5つの物語が共有するテーゼこそ、自分がビデオゲームという新たなアートフォームで表現したいものなのだ、と。ラニングはそれを「ジョゼフ・キャンベルが説いていたようなもの」と形容した。キャンベルが東洋思想やクリシュナムルティを介して持論を導き出したように、非西欧的・資本主義的価値観によって支えられる物語。行き詰まった大量消費時代をわずかでも善き方向へと変えるために、我々が生きている「当たり前」を知るためのメッセージ。説得の過程で起きるすれ違いは当時のゲームの地位を端的に表している。以下は『Abe's Origin』(2020)収録のラニングのインタビューから抜粋。

She wanted to make five movies from the story, but I wanted to make five games.  "What is wrong with you?", she says to me.
「彼女は物語を下敷きに5つの映画を作ると考えていた。しかし、私は5つのゲームを作りたかったのです。『何が違うの?』と彼女は言ったものでした」

Abe's Oddysee〜エイブ・ア・ゴーゴー

3Dが映画やテレビに入り込んできたからには、次はビデオゲームの世界にも来るだろう。ラニングの現実的な予想は、自然と彼を開発中とされている次世代ハード、プレイステーションに注目させた。ベンチャー企業として350万の出資を GT Interactive社から得たラニングにマッケナも観念し、二人はハリウッドからオビスポに移った94年9月に、自分たちの会社Oddworld Inhabitansを設立する。「奇妙な世界の住民たち」という社名は、そのままラニングの描くユニヴァースを体現していた。彼が構想していたサーガは、いずれもオッドワールドという惑星のあちこちで起こる物語として描かれているのだ。ラニングは第一作となるプロジェクト『Soulstorm』を立ち上げ、その世界観の構築に時間を費やした。

2020年にPS5で発表された新作が同名を冠しているのは、ラニングの理想を忠実にゲーム化するにはここまで待たねばならなかったことの証明である。つまり、当時の最新機器であるプレイステーションのスペックでも、ラニングとマッケナの理想を受け止めるには厳しいものがあったのだ。具体的にいえばリアルタイムでレンダリングされたマップをキャラクターが動き回るという構図が制作を非現実的なものにした。技術的な限界から、ゲーム部分は一枚絵のCGの上を動くドット絵にして、3Dアニメはプリレンダされたムービーパートとして表現することになった。
96年にパブリッシャーからの要望でタイトルが『Abe's Oddysee』(綴りに注目)に変更され、97年9月19日に正式発表となった。日本でもソフトバンク下のPCゲーム部門「Game Bank」がローカライズし、『エイブ・ア・ゴーゴー』として発売された。ラニングは後年になって、この時の日本進出はセールス的に大きかったとして孫正義に感謝を述べている。
一ベンチャー企業の初タイトルにもかかわらず、『Oddysee』は大ヒットを記録し、数々の賞を得るなどインディーズの枠にとどまらぬ功績を残した。97年1月にリリースされた『FINAL FANTASYⅦ』もプリレンダされたCGの上をキャラクターが移動するものであったが、半年少し遅れて出たとはいえグラフィックの美麗さは『Oddysee』が遥か上を行っていた。

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プレイヤーの分身エイブ。名前はエイブラハム・リンカーンの愛称から

『Abe's Oddysee』はラニングの描く世界観の概要を一望できる内容だ。主人公は惑星オッドワールドに生息する「マドカン族」の若者・エイブ。マドカン族はグラッコンという種族に支配され、労働力として搾取されている。グラッコンは現実世界でいう資本家にあたり、惑星のあちこちに工場や採掘場を設置している。食品加工場であるラプチャーファームに労働者として使役していたエイブは、ある日グラッコンたちが絶滅危惧種の動物たちを食品に加工し、さらには従業員のマドカン族さえ材料にするプランを盗み聞きしてしまう。プレイヤーはエイブを操作し、工場からの脱出と、道中で出会う仲間たちの救出に挑むというのが『Oddysee』の筋書きである。被搾取者が間接的かつ無自覚にそのサイクルへ加担するという構造、大量消費社会と神秘主義またはインダストリアルと有機的デザインといった対比は、現実のグロテスク性を克明に描いているが、そこに主人公のエイブはじめとしたユーモラスなキャラクターが陰鬱な雰囲気を中和する。マドカン族同士の合言葉が「おなら」であること、工場の警備員であるスリッグがことあるごとに居眠りをしていること、他者をこき使うグラッコンたちのスーツの下は腕が退化して足だけになっていること。ここには現実を映し出す鏡としての奇妙さ(odd)がある。一個人を「悪の親玉」といった風なターゲットにせず、資本側の象徴である「工場」の破壊をゲームの目的にしているところも聡明で、資本主義下では大企業の社長ですら歯車の一つであるということを上手く描写している。
列強としての米国、奴隷制や搾取を生み出す資本主義のサイクルを内部から破壊するテロリストである主人公、と書くと武骨なイメージを抱きがちだが、当のエイブは貧弱で力強さとは無縁の若者だ。『クラッシュ・バンディクー』のような大ジャンプはできないし、ソニック・ザ・ヘッジホッグのように高速で駆け抜けることもできない。エイブが使えるのはリフトや様々なトラップなど「敵の施設にあるもの」と、「チャント」と呼ばれる不思議な祈りであり、これらがステージを構成するパズルを解くカギになっている。エイブ自身が持っている力とはフィジカルな意味でのそれではなく、精神的なものなのだ。本来のマドカン族は土着信仰的な民族で、この力が産業化に取り込まれることで失われているという設定もそつがない。なお、チャントの元ネタはラニングが大好きな『スターウォーズ』のフォースである。万物に「力」が宿っているという自然主義的な思想は、彼が幼少時に過ごしたニュー・イングランドでの生活が強く尾を引いている。厳しい寒さと豊富な自然が与えるインスピレーションが、77年の『スターウォーズ』に登場するフォースと、その使い手であるヨーダ(マドカン族の見た目は少なからず彼からインスパイアされている)と繋がったのだ。
ゲームにおけるチャントの役割は様々だ。虫たちと交信してヒントをもらったり、警備員のスリッグの身体を乗っ取って敵の施設を「内部から」かき乱すことができる。この乗っ取りは、上で挙げた工場の施設の利用と同じパズルのピースであり、Oddworld流アイロニーでもある。『Oddysee』のブラックユーモアがゲームに上手く落とし込まれている例であり、ステルス・アクションの大家である『メタルギア』シリーズとの親戚にすら思えてくる。

『Abe's Oddysee』の目玉はパズル的なレベルデザインだけではない。労働に従事している仲間たちを助け出す際に行なう「ゲームスピーク」も、シリーズを象徴する要素だ。ボタンごとに振り分けられた「ハロー」「待ってて」などの声かけを組み合わせて、仲間を脱出先のゲートまで誘導していく『Lemmings』的コマンドといえばわかりやすいか。仲間を呼び寄せると、彼らは馬鹿正直に歩いて地雷や食肉加工カッター(当たるとミンチになります)に巻き込まれてしまうため、プレイヤーは状況に応じて行動を指示する必要があるのだ。ステージが進むと難解な状況が続くうえ、指示と実行が微妙にワンテンポ遅れた(このラグがまた絶妙)結果、仲間が死んでしまうことも多々ある。悔恨と同時に、不器用な仲間たちに煩わしさを抱いてしまう自分に気付くのもこのゲームが誇るシャレの一つだろう。私的な経験としては、CAPCOM『Dead Rising』(ゾンビに取り囲まれたショッピングモールからサバイブする名作)に登場する生存者のAIのぎこちなさは『Oddysee』を想起させた。ゲームによってはこの種のストレスが必要なのだ。

過去のインタビューでラニングは何度かゲームスピークのインスパイア元について話している。90年にLucasfilm Gamesが発売した『LOOM』は、音符を組み合わせて鳴らすことで生まれる「音の合言葉」によってゲームを進めていくものだが、これを言語に置き換えたのがゲームスピークというわけだ。なお、『Oddysee』の中には3種の鐘の音の組み合わせによるパスワードで扉を開く演出(実際は自動で鳴らしてくれるのでパターンは覚えなくていい)があり、これは明確な『Loom』へのオマージュといえる。

Abe's Exoddus~エイブ99

『Exoddus』では資本主義的ヒエラルキーの頂点に立つグラッコンもチャントで遠隔操作できる。自分一人では扉も開けられないほどに非力だが、警備員に命令して暴力に訴えるなどやりたい放題。

『Oddysee』のヒットによって弾みがついたOddworldは、次回作『Munch's Oddysee』の開発に取り掛かる。マドカン族よりも下等とされ、「素材」として乱獲されているガビット族のマンチが、エイブと協力するストーリーだ。ラニングはかねてからフル3Dのゲームを作りたがっていたが、プレイステーションのスペックではやはり限界があったため、次世代ハードの登場を待つしかなかった。また、『Oddysee』と同じゲーム性で追加のエピソードを求める声も多く、こうしてバージョンアップ的続編『Abe's Exoddus』がリリースされた。前作にあった要望を反映させ、より多くのステージを収録した2枚組の大作である。なお、日本では『エイブ99』としてもローカライズされたが、98年の時点でGame Bankが解体となったため、パブリッシャーはリバーヒルソフトとなった。前作はプロモーションに秋元康を起用し、アイドルユニットに歌わせたテーマソングやスナック菓子まで用意してテレビでガンガン放映するという、当時のプレイステーション市場らしい広告連打が行なわれていたが、『Exoddus』の頃になると資本的な理由からかCMは打たれなかった。現金なものだと筆者は小学生ながらに思ったものである。

『Munch's Oddysee』の開発期間はそのまま第5世代ゲーム機への移行が準備されていた時期だった。プレイステーションからプレイステーション2(PS2)へ、と意気込んでいたラニングたちだったが、そこにマイクロソフト社がXboxでゲーム市場に参入を図る。PS2のスペックさえもフル3Dのオープンワールドを描くには一歩足りなかったこと、さらに開発環境がインディのデベロッパーに優しくないことにいら立っていたラニングは、マイクロソフト社や、 GT Interactiveを買収したばかりのInfogramsからのラヴコールによって鞍替えを決断する。これによってOddworldの世界観はより広大かつ美麗に表現されるかに見えたのだが、ここからがOddworldの難航、パブリッシャーに右往左往させられるラニングとマッケナの苦闘のはじまりであった。

続きます。

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