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80sロンドン・アンダーグラウンド結合点③ COIL

80年代ロンドン地下音楽、その前線の一つであったCurrent 93ら秘教的サークルが80年代末からのレイヴ・シーンと交わることは一部を例外になかったと言ってもいい。その要因には、輪の構成者たちの多くが英国から離れていったことや、レイヴ・シーンを形成する層との世代的ギャップが挙げられる。若者に混じり、ドラッグを嗜みつつクラブで遊ぶには、彼らは少々歳をとりすぎていたのだ。
プライベートな事情を持ち出せば、そこにはCurrent 93とPsychic TVとの距離感もあった。Shirley ColinsやThe Incredible Sting Bandら欧州サイケデリック・フォークの系譜に加わったCurrent 93に対して、PTVを率いるジェネシス・P・オリッジ(88年の時点で38歳!)が現在進行形で発展するサイケデリアの渦、新たなユース・カルチャーとしてのレイヴ・シーンに突っ込んだことは両者の関係を端的に表している。本記事では触れないが、人間関係による衝突を経て分かれた両者の対称性は、音楽やボディアートを含めた80sロンドン・アンダーグラウンド史をマッピングする上でも重要だ。

この秘教的ネットワークを図式化していくと興味深い存在に突き当たる。上で書いた「一部の例外」に含まれるもので、Current 93らサークルの一員でありながら、レイヴ・シーンを(一時期まで)住処としていたCOILである。主メンバーはジョン・バランスとスリージーことピーター・クリストファーソン。2人はチベットと同じPTV出身で、それどころかスリージーはその前身であるThrobbing Gristleのメンバーであった。
ゲイでありパートナー関係だったバランスとスリージーにとって、ゲイ・クラブに通うことは一つの習慣だった。しかし、HIV/AIDSの脅威によってダンスとドラッグがセックスにとって代わるようになり、そこにレイヴ~セカンド・サマー・オブ・ラヴが到来することでCOIL独自の音楽と世界観は劇的な変化を迎える。そこで生まれたサウンドが90年代以降のエレクトロニック・ミュージックにとって一つの指標になったことも見逃せない事実だろう。今回は80年代に咲いた最後の大花、レイヴ・シーンとCOILの関係、その影響先について書いていく。

Heavenとセカンド・サマー・オブ・ラヴ

COILが世に現れた84年の時点でHIV/AIDSの脅威は世界的なものとなっており、同性愛者に対する誤解と偏見もまた然りであった。キリスト教福音派で「神の使役者」を自称するマンチェスターの警視総監ジェイムス・アンダートンによる同性愛者への攻撃的な言動(当時の首相マーガレット・サッチャーは彼への評価を公言した)や、88年5月に施行されたSection 28(同性愛を促進する教育や出版物の発行を禁止する制度)の登場など、歴史がそれを物語っている。
暗澹とさえ呼べる状況下で、ゲイ・コミュニティにとっての駆け込み先の一つがナイトクラブだった。79年にロンドンのチャリング・クロスにオープンしたHeavenは、AIDS恐慌以前からゲイ・シーンの最先端となっていた。その存在感は82年にはVirginがHeavenを買収したことからもうかがえるが、これは取締役リチャード・ブランソンがシーンの市場価値に狙いを定めたことが理由であることを念頭に置いておくべきだろう。
COILにとってもHeavenは重要なスペースで、ジョン・バランスはPsychic TV時代に知り合った映画監督デレク・ジャーマンと同クラブ内のトイレでセックスに励んだ想い出を持っている。


HIV感染の可能性からコミュニケーションとしてのセックスが困難になってからも、人々はHeavenや同クラブに続いてオープンしたゲイ・クラブに集い続けた。リスクを伴いながらセックスに励む者もいれば、ダンスをその代わりとする者もいた。
90年代中頃までCOILのメンバーであったステファン・スロワーが言うには、SMクラブ含めたゲイ・シーンでプレイするDJの中にはCOILのファンも多く、84年のシングル「Panic」や86年の「The Anal Staircase」が頻繁に流れていたという。

86年にシングルカットされた「The Anal Staircase」のリミックス。手がけたのは後にウィリアム・オービット、そしてマドンナとさえ仕事するプロデューサー、リコ・カニング。

シングル『Panic』の収益をすべてTerrence Higgins Trust(英国最大のHIV/AIDS基金)に寄付したことが象徴するように、COILは自分たちの作品を経済的・精神的の両方の意味でゲイ・シーンに捧げていた。その多くが「哀歌」の形をとっているところにCOILのゴシック的特色がある。「The Anal Staircase」ひいては同曲が収録されたアルバム『Horse Rotorvator』(1986)の主題の一つは明らかに当時を生きていた(そして亡くなった)人々への葬送曲だった。
アルバム発表の前年に公開されたデレク・ジャーマン『Angelic Conversation』のサウンドトラックにはCOILの音楽以外にベンジャミン・ブリテンの室内楽が使われた。同性愛者というだけで正当な評価を妨げられていた事実を持つブリテンの音楽を使用することは、ジャーマンとCOIL流の葬送であった。

『Love's Secret Domain』 (1991)。ジャケットはスティーヴン・ステイプルトン(Nurse With Wound)

『The Anal Staircase』がリリースされる1年前の時点でHeavenではシカゴ・ハウスのパーティーが開かれており、英国ではレイヴ・シーンがまさに花を咲かせつつあった。セカンド・サマー・オブ・ラヴ絶頂期に数えられる88年には無人の倉庫で開かれていたアシッド・ハウスの(違法)パーティー・Genesis 88が、89年にはこれまたHeavenでThe Orbのアレックス・パターソンとKLF、そしてYouthたちによるイベント「Land of Oz」などが開かれている。ShoomやConfusionといった出来立てのアシッド・ハウス専門の箱もCOILの通い先に含まれていた。
『Horse Rotorvator』から次のアルバム『Love's Secret Domain』(『LSD』)が発表されるまでの期間がセカンド・サマー・オブ・ラヴ絶頂期に重なっているのは偶然ではない。このタイミングで作られた『LSD』(そしてPsychic TVのアシッド・ハウス作品)はThrobbing Gristleに端を発するインダストリアル・サウンド(ブリープ的な音と機械的リズム)がサイケデリア・リバイバルと自然に合流した瞬間を切り取ったドキュメントだ。この二者ほどハードな例でこそないが、元TGのChris & Coseyも91年にダンサブルな『Pagan Tango』(ベルギーのPlay It Again SamとシカゴのWax Trax!による配給)を発表している。ポスト・サイケデリックをスローガンとしていたTGのメンバーたちがそこにいることで、インダストリアルとレイヴがサイケデリック運動の歴史線上で繋がった。

ドラッグとヘッド・ミュージック

ジャック・デンジャーズ(Meat Beat Manifesto)によるリミックス

『LSD』収録の「The Snow」や「Windowpane」のような曲は明確なハウス・ビートを持っており、DJ向けといわんばかりにシングルまで切られている(Wax Trax!はシングルからアルバムに至るまで、同時代のCOILの音源を配給した)。しかし、『LSD』収録の大半はいわゆる4/4拍子で進む一般的な展開も少なく、ダンス・ミュージックで片づけるには少々複雑すぎた。
四方八方に散りばめられた音のピースは捉えられることを前提に配置されておらず、リスナーが自ら捉えに行かねばならないといった佇まいだ。COILはアシッド状態でこそ、この音楽に触れられると公言し、音楽とリスナーがインタラクティヴな関係であることを強調した。
彼らは自らの音楽を「視界の端を音で表したもの」と形容している。この具体性を欠きつつも存在だけは確かなモノに執着できる集中力は、ドラッグによる意識変性に支えられていたといっても過言ではない。「Dark River」や「Chaostrophy」のような楽曲にはそれが顕著に表れている。

ドラッグの存在はセカンド・サマー・オブ・ラヴが実現した背景を語る上では欠かせない。とりわけ「E」ことエクスタシーの名で知られるMDMAは、85年にDEA(米国司法省麻薬取締局)から非合法認定を受ける以前からゲイ・シーン含めたクラブのネットワークでも使用されていたし、非合法認定を受けて以降も、既に芽生えていたレイヴ・シーン下では容易に手に入ったとされている。筆者は未経験なので経験者たちの証言に頼るほかないのだが、こと音楽の範疇では、楽曲が持つ反復性とのポジティヴな相性を訴える声が多く残されている。たとえばジャーナリストであるサイモン・レイノルズが著書『Energy Flash』(1998,未邦訳)の中で残している一節を見てみよう。著者自身が目撃・体験したEと音楽の相乗効果としての「ダンス」が克明に描かれている。

Eによって覚醒することで、(レイヴで鳴らされる)音楽がそのように作られている理由を直感的に理解できた。ぞくぞくさせるテクスチャーを伴う音が鳥肌を立たせ、オシレーターによるリフがEの効果を促進させる。ガス状に立ち昇る女性ヴォーカルはそのまま我々の感情を映し出す。
ついに私はソニック・サイエンスとしてのエクスタシーを理解した。同時に明確となったのは、観客が主役であるということだ。怪しいフィンガーダンスをしている男はDJやバンドと同等であり、このエンターテイメント、この舞台の一部なのだ。ダンスとその動きはウィルスのように超高速で群衆へと広がっていく。痙攣に痙攣を重ね、身体のアジテーションが別々の構成要素として分解され、フロア全体のレベルで再統合していく新たなダンス。私はそれに引き込まれていたのだ。身体のパーツ(関節やピストルをかたどった手)は、サウンドシステムから放たれる躍動する低音やシーケンサーによるリフと連動し、「欲望の機械」ともいうべき一つの共同体の歯車となっていた。統一性と自己表現性は、うねるように脈打つ陶酔の力場で融合した。

レイノルズが興奮たっぷりに伝えている神秘体験はCOILも共有していたものだ。彼らもまたレイノルズと同じくして「いかに」この体験が得られるかを探求するようになった。やがて『LSD』のコンセプトは「クラブ以外の場でも同じ瞬間、同じ感覚を得ることができるような音楽」になった。
『LSD』のセッションにはE以外にも何種類ものスマートドラッグが投入された。かつて愛用していたアンフェミタンやスピード以上の過集中効果に後押しされることで、1秒にも満たないサウンドのソース(多くがフェアライトによって切り取られたものだ)から無限の可能性を引き出すことができた。
スマートドラッグによる「認知の拡充」について、バランスとスリージーはあちこちで言及している。以下に二つほど抜粋する。

バランス「タイではペルチカンやニュートロピルを使っていた。クリアな状態になって目が覚める。そして喋ったり物事を思い出してみると効果が実感できるんだ。子供の頃を突然思い出して、『そういや、あの人とは久しく会ってないな』という感じだ。10%か20%、精神が加速するだけで記憶中枢をはじめとした、脳のあらゆる部分に効果が表れる。ヴァソレプシンは記憶というプロセスに働きかけるものだ」(ジョン・バランス)

「脳の化学的な基盤をふまえれば、ケミカルがそこに作用しないわけがありません。適切なモノさえわかれば、我々は何だってできる」(スリージー)
                                                                                                                  (91年)
(ドラッグによる)オルタード・ステーツと魔法に違いはありません。 特にサイケデリックは客観性だとか、その類のものに気付くことができる。 えてして経験とは主観的なものなので他人と同じものは存在しませんが、ドラッグによってたどり着ける領域もまた現実なのです。(スリージー)
           (David Keenann『England's Hidden Reverse』(2003 SAF) より)

『LSD』を頂点にCOILとドラッグとの恋愛は決定的なものとなった。ハードなレイヴと違法または実験段階のケミカル(バランスはディーラーとの繋がりがあり、サンプルを果たす代わりに新薬を大量に入手していたという)に溺れた結果、彼らは強いバッドトリップを迎える。バランスはこの時点で肉体的にも精神的にもダメージを負っていたのだが、怪我の功名というべきか、この経験は新たなCOILのサウンドを生み出す転機となった。その理想はドラッグを経由せずにE化を実現する新たなヘッド・ミュージックだ。これについてはまた別の機会で書く。

レイヴ以降の新世代ヘッド・ミュージックへ

2000年6月17日バルセロナで開かれたSonar Festivalにて、COILのライヴを見に来ていたAutechre(撮影:Jon Whitney)

COILがドラッグのネガティヴな側面に頭を突っ込み始めた頃、出自は違えど彼らと同じように部屋で聴くダンス・ミュージック、ヘッド・ミュージックとしてのテクノが登場してきた。英国の例ではなんといってもシェフィールドのWarp Recordsで、同レーベルが92年にリリースしたコンピレーション『 Artificial Intelligence』や、Polygon Window(もちろんAphex Twinとしての『Selected Ambient Works 85-92』も)の音源とCOILの『LSD』を比較してみれば、アシッド・ハウスやハード・ミニマルの諸作よりもずっと近い存在に思えるだろう。
とりわけCOILのフォロワーとさえ呼べるのが『 Artificial Intelligence』にも提供しているAutechreだ。収録曲「Crystal」はメタンフェタミンの俗称を使ったとおぼしきネーミング含めて、COILの「The Snow」(コカインの俗称)の子供のような曲だ。98年のCOILのインタビューでは両者の共作を匂わせる発言も出ていたが、それは実現しなかったようだ。

ヒップホップ~エレクトロからの影響を公言するにふさわしく、AutechreはWarpからアルバムをリリースする一方でMo Waxのコンピレーション『Headz』(1994)にも参加している。この事実は当時の(英国)クラブ・ミュージックが今のように細分化され切っていなかった時代であることと、Autechreの音楽が有機的に変化し続けていたことの証左ともいえた。やがて2001年の『Confield』でアブストラクトにシフトしたことは、もう一つのインスピレーション元であったCOILに近寄った瞬間として興味深い。

『Confield』はその極端さゆえに「方向転換」として記憶されているのだろうが、サンプリングしたサウンドを顕微鏡的にとらえ直し、そこから新しいサウンドを生成するというAutechreのミニマルなアプローチは過去の作品でも行なわれている。そして、それはCOILがフェアライトでやってきたこととほぼ同じだ(時代に合わせてMaxやAbleton Liveが早い段階で導入された)。
一つの素材を延々と拡張していくAUBEや、クリッピング・ノイズをもサウンドへとデザインするAlva Noto(COILは
Raster-Notonの『20' TO 2000』にも参加している)の音楽にも同じことがいえるだろう。
彼らとCOILの違いは、バランスとスリージーが作った「サウンド」を、ステファン・スロワーまたはThighpaulsandraことティム・ルイスのように作曲に長けたメンバーが「音楽」にビルドアップするというプロセスの有無、そしてミニマムからマキシマムな結果を導き出すこの過程を「錬金術」にたとえることだ。

トラッド~フォークに至ったCurrent 93、世間とはまったく異なる時間軸で動くNurse  With Wound、最終的に古典的サイケデリック・ロックへと帰結したPTVに対し、COILは常に現行の音楽にリンクしていた。その影響は上で書いてきたAutechre、そして今回は名を出さなかった米国のNine Inch Nailsにまで及んでいる。

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