見出し画像

縁を、淵を、不知を 越える

今、何をすると良いのか
経済資本主義社会のもと、
僕らは判断できなくなっているんじゃないかと
ふと、想った。

自由市場の原理で世の中は動いている。

市場のニーズで世の中の流れが決まる。

その流れをちょっと政治がテコ入れをする。

もちろんそれらの政治の力は
市場で力を得てきた上流一般市民が握っている。

*************

今、流行りの感染症の実態と、
社会や政治の動きがズレているのも、
市場都合主義によるズレなんじゃないかと
ふと想った。

だから、

2年前の感染症の情報の衝撃により、
大きく社会は揺らぎましたよね?

今までのお金のサイクルで廻して暮らしていた
ある一定の人たちはサイクルが出来なくなった。

そしてまた
ある一定の人たちには
新たにお金がよく巡ってくる
サイクルを手に入れた。

「これからはこっちの世の中にしていこう」
という
政治の意思の力も働いた。

で、それから2年が経って、
未知の感染症も、
だいぶ身近な既知の感染症になった。

そして、
僕らは2年前の市場社会に戻れるのか?
ってこと。

そもそも思い出してみれば、
(僕の個人的現実かもしれないけど、)
あの2年前の世の中の衝撃とは関係なく
僕の関わる市場経済は
「もう無理だなぁ・・・」
という実感だった。

もちろんこの世界の主人公は僕なので
市場経済資本主義とは別の生き方を
考えつついたわけだ。

でも、みんなどうするのかな?
この頭打ちな感じ。

戦争でもして、
いろいろご破産にするのがいいんじゃないかな?

でも80年前と違って、
なかなか世界の人々同士で
憎み合うのは難しいぞ?
庶民と庶民が結構な数の割合で
コミュニケーション
とれる時代になってるもんなぁ・・・

と、あの頃ちょうど考えていたので、
2年前の1月2月、3月の
世界の情報の変わり具合を見て
「こうきたかぁ!」

という感想でした。

*************

さぁ、2年経って、
いろいろ改善する時間はあった。

でも何で、今も2年前と同じ
緊急時の対策と呼ばれることをしているのか?

それは、
それで今、具合良く廻っている市場があるから
なのではないでしょうか?

*************

そして、僕らは
市場の流れの大小以外に
世の中の何をどうするべきか
判断、決断が出来なくなっているのでは
ないでしょうか?

それは
良くも、悪くもです。

いや、今までも人類ずっとそうだった。

僕らはずっと、判断を、
「神」に頼り「王」に頼り、
そして近代「市場」に頼ってきた。

そうして秩序を保ってきた。

どこかに分け目を付けた
「集団」の狂気も恐ろしいが、
個人個人の主張する「正しさ」が
貫かれる社会も・・・・
どうなるんだろうね?

未だに
見てないね(笑)。

*************

僕は、
しょっちゅう自分の手を
除菌、殺菌するのも、
僕が連れてる常在菌、
善玉菌を殺してしまいそうで
嫌だし、無理だし、無駄なことだし。

人と人とのコミュニケーションを望むのなら
マスクで顔を隠すべきじゃないと思うし、
だからまぁ、みんなそれほど
人と会うことを望んでないんだなぁ…なんて。
僕もその本音、よくわかります。

億劫だもんね。

どこかの市場が大きく動くように設計されて
開発された注射を打って、
熱が出たら、誰かが指定した解熱剤を購入して、
熱を上げて免疫を高め、
自己治癒力upの機会を明け渡す。

*************

こんな観点の意見が
合意形成されて、
世の中の望む意志として
今、社会を動かすとは
とても想ないし、

こんな思想の人が独裁で
決断し、世の中を導くってのも気持ち悪い。

もちろんこれらの自然思想を
「魔」として
断罪される世の中になるのも恐ろしい。

だからといって、
感情論を交えない
ビジネスな市場経済に人間社会の仕組みを
任してしまうのも、
もう間に合わないんじゃないかと・・・。

やっぱり一度、
仕組みに身を委さずに
自身の胸に手を当てて、
それぞれ聞こえた自分の声から
世界を創ってみたら、
意外とそんなに対立しないんじゃないかな?

歴史が語られるようになって以来、
人類はこうした生き方
していないみたいだけど、
そろそろ縁を、淵を、不知を
越えられるんじゃないかな?

と、恐れ多くも想うのです。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。