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「オト」へ向けての綴り

オト
この曲は2001年に、
初めてレコーディング
ということをした曲です。
ずっと忘れてて、思い出して、
あらためてウクレレアレンジしました。

だから、2000年の秋とかに出来たのかな・・・。

そうか。
横浜暮らしをやめて、
東京のアパートに引っ越したのは
2000年だったのか。
ということは、
もう20年も前の話か・・・。

*************

2000年あたり、
世間的に横浜が盛り上がっていたように
感じました。

ミレニアム、高校野球、松坂大輔、ゆず、
ワールドカップ、ドーハの悲劇、
プロ野球とかJリーグも強かったんじゃないかな?

僕は相変わらず、
横浜駅前で歌ってたんだけど、
これらの上っ面の世相は置いといて、
楽しい人たちとの出逢いがたくさんあった。

ジャンベを始めたきっかけもここらへん。

駅前で何時間もセッションした。
タイコ叩いたり、段ボール叩いたり、
通りがかりのおじちゃんおばちゃんも
踊って晴れやかだった。

苦情も、警察も、
そこそこな感じだった。

まだ新鮮味があったんだろうな。
おじちゃんおばちゃんん達も
「やっぱりタイコはいいね」
と言って踊ってた。

しかし、
人と時は流れるね。

だんだんと、面白い人たちが減っていった。
音楽の面白さを教えてくれた
何時間も音ではなしあうような
ヒッピーな友達とは会わなくなった。

残った僕は横浜で
雨後の筍のような
ゆずみたいな薄っぺらいフォークデュオの
若者達に
「どこで歌ったらいいんですか」
と聞かれるような長老になっていた。
24歳。

同世代は結婚やら就職やら。
病みに消えていった人も
多かったかもしれない。今思えば。

みんな元気にしてるかな?

*************

それで「そうだ東京へ行こう」。
東京へ行ったら、
まだまだダメな大人が多い気がする。
自分がまだ若者でいられるような気がする。

「夢を追って」というニュアンスは
微妙だな。
音楽そのものである自分の身を
置ける場所を探したって感じです。

知ったかぶりで渋い土地を選んでも
続かないだろう。
下北にしよう。
メジャーな街にしよう。

というわけで、
下北沢の隣駅、新代田から
徒歩8分の
4畳半、風呂なしアパートで暮らし始めました。

なんか、曲について話すつもりが
自分史語って広がってしまってるなぁ・・・

*************

だんだんと「オト」が出来たいきさつへ。

まだ数少ない、東京の友達が、
大久保のライブハウスでライブする
というので観に行きました。

初めての場所、知らない人たち。
身の置き場がなくて、
ビール1杯飲んで、
フラフラと外に出ました。

ライブハウスから漏れる音に合わせて、
リコーダーくらいの大きさで、
クラリネットみたいな音がする
(今回の録音に散りばめられているSAX
みたいな音がそれです)
竹サックスを吹いてフラフラしてました。

階段の下にある
資材置き場の鍵が空いていたので
そこに忍び込みました。

真っ暗闇に一人ぼっち。
目が慣れてきた頃に
視界に入ってきたのが、
照明とかで使う
黒い円筒みたいなやつ。

それを見つめながら
竹SAXを吹いていたら、
だんだんとそれが
顔に見えてきました。

それがこれ。

後のCDのジャケットにしたけど
わけわからないですよね(笑)

そんなサイケにぶっ飛んでしまった僕は
友達に挨拶することも出来ず、
竹SAX吹きながら、
ライブハウスを後にしました。

見知らぬ街、大久保。

新宿まで1駅だから歩けるよな。
道知らないけど。

見知らぬ街を
笛を吹きながら歩きます。

途中で猫が横切ると、
彼に着いて行きます。

音のチカラを知りました。

音を鳴らすと、
大冒険を始められるのです。
アタゴオルに行けるのです。

ビール1杯の酔っ払い。
違法な薬も一切ナシで、
人はどこまでも行けるのです。

つづく

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長文になってしまったので
3編に分けます。
つづき↓

「オト」含む、
6月完成の6曲、
こちらから聴けます。




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