08.カノン〈Canon〉J Pachelbel
平魚泳
00:00 | 00:00
※試聴版。オリジナル版(02:46)は購入後に視聴可能。
誰もが知ってるカノンです。
カノンといえばパッフェルベルのカノンですね!
世の中のヒット曲の半数がこのカノンのコード進行で作られているという。
Ⅰ→Ⅴ→Ⅵ→ⅠM7→Ⅳ→Ⅰ→Ⅱm→Ⅴ
簡略3コードで
Ⅰ→Ⅴ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅳ→Ⅴ
キーがCなら
C→G→Am→CM7→F→C→Dm→G
簡略3コードでC→G→F→C→F→C→F→G
初めて触れた方はどうぞ弾いてみてください♪
この曲との原初の出会いは小学校5年生でした。
6年生を送る会での5年生の発表が、このカノンをアレンジした
「遠い日の歌」という曲でした。
https://www.youtube.com/watch?v=GG59Frz7VXA
今思えば先生が熱心で音楽の味わいを良く理解していた先生だったんですかねぇ・・・。
小学生にしては厳しかった。よくこんなの5年生に歌わせたなぁ、と思います。
しかし月日が経って10代の終わりあたりから「あの歌はなんだったんだろう・・・」
初めての経験の感触が蘇ります。
それまではソプラノが主人公でアルト、テノールはサブキャラだと
小学生レベルの僕は理解していたんですよ。
しかし、アルトもテノールもバスも素敵なメロディ。
どのパートも歌いたい!
だからみんなで歌いたい!
あれが初めての音楽体験かもしれません。
それ以来大人になってからもふと「合唱コンクールしたいなぁ」
なんてつぶやいたりもします。
そんな思い出を引きずりつつ、ウクレレ片手に旅をしていました。2008年ころです。
鹿児島の街にいるとき、ふと「イマドキの時代なんだからググればいいんだ!」
ということに気がつきました。
「遠い日の歌」で検索すると(遠い日の歌ってタイトルだけは憶えていたんです)
「カノン」という文字が出てきました。
楽器屋さんで楽譜を買いました。
ドルフィンパークでも、お世話になったゲストハウス「ムーンガラムマサラ」さんでも練習しました。
そろそろ千葉へ帰ろうとしている頃、高崎でヒッピーで人生を全うしている友人が危篤との連絡を受けて思いついたこと・・・。
ヒッチハイクで関東に帰ることに決めました。
僕はヒッチハイクが当時あまり好きではありませんでした。
というのも、旅人を満喫している時ならそれはとても良い。
出逢いに感謝して、乗せてくれる心の優しい人に
心から感謝して行動できるアイデンティティだったら良いと思います。
当時の僕は旅人であることに強い抵抗感がありました。
「音楽家でありたい!」が前提の旅でした。
金銭の都合がなかなかつかない故の貧乏旅行。
ま、音楽が出来るのならば、そこでの出逢いは幸せそのもの。
なので、僕が僕で一番しっくりいくスタンスで、友達の彼の元へ行こうと決めました。
「サービスエリアまで自力で行って、ダンボールの看板立てて、あとはひたすらカノンを練習する!」
4日かかりました。
「乗ってく?」と声かけてくれた方々にも感謝です。
みんな素敵な人でした。
なにより自分が「ヒッチハイクの上手なHow to」を採用しなかったのが
僕の満足と不満の僕らしさでした。
「乗せてください」と笑顔で頭を下げることは出来ませんでした。
出来る人は素晴らしいと思います。
きっと彼の人生はとても上手くいくと思います。
でも、僕らしく、関東までたどり着いて、
友達の死に目には間に合わなかったけど、彼へのはなむけと御縁を想うと
一番有り難い行動をさせてくれたなぁ
と思っています。
翌日の火葬場、そしてお骨の分配には行けました。
飛行機、新幹線なら余裕だったし、当時の僕の可能な範囲で、高速バスでも可能だった。
いまどき、ヒッチハイクする人なんているのだろうか?
いや、きっとyoutuberさんやブロガーさんが、しっかりアウトプットの道筋を考えてする人がいるだろうな。
当時もどうして「自転車日本一周」とかの旗を掲げて周らなかったのか。
それはとても僕らしさなんだと思う。
今も何かシンプルでわかりやすいキャッチコピーを作って
それを元に行動するのがベターなんじゃないかとは思うのですが・・・。
せめてものわかりやすさ、タグ付けのしやすさを学びとして
「ウクレレ」の看板だけは背負わさせていただきます。
音楽から、いろいろいただいています。
音楽という様々な出逢いによって
多い少ない、大きい小さい、優れてる劣ってる、富んでいるか貧しいか、
そんな比べる目盛りをゼロにして
今の僕はここにいると思っています。
※"192kbpsのMP3”でこちらからダウンロードして聴いていただくことが出来ます。
2019年2月に、2013年に完成させた音源をリマスタリングして発表しております。
カノンといえばパッフェルベルのカノンですね!
世の中のヒット曲の半数がこのカノンのコード進行で作られているという。
Ⅰ→Ⅴ→Ⅵ→ⅠM7→Ⅳ→Ⅰ→Ⅱm→Ⅴ
簡略3コードで
Ⅰ→Ⅴ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅳ→Ⅴ
キーがCなら
C→G→Am→CM7→F→C→Dm→G
簡略3コードでC→G→F→C→F→C→F→G
初めて触れた方はどうぞ弾いてみてください♪
この曲との原初の出会いは小学校5年生でした。
6年生を送る会での5年生の発表が、このカノンをアレンジした
「遠い日の歌」という曲でした。
https://www.youtube.com/watch?v=GG59Frz7VXA
今思えば先生が熱心で音楽の味わいを良く理解していた先生だったんですかねぇ・・・。
小学生にしては厳しかった。よくこんなの5年生に歌わせたなぁ、と思います。
しかし月日が経って10代の終わりあたりから「あの歌はなんだったんだろう・・・」
初めての経験の感触が蘇ります。
それまではソプラノが主人公でアルト、テノールはサブキャラだと
小学生レベルの僕は理解していたんですよ。
しかし、アルトもテノールもバスも素敵なメロディ。
どのパートも歌いたい!
だからみんなで歌いたい!
あれが初めての音楽体験かもしれません。
それ以来大人になってからもふと「合唱コンクールしたいなぁ」
なんてつぶやいたりもします。
そんな思い出を引きずりつつ、ウクレレ片手に旅をしていました。2008年ころです。
鹿児島の街にいるとき、ふと「イマドキの時代なんだからググればいいんだ!」
ということに気がつきました。
「遠い日の歌」で検索すると(遠い日の歌ってタイトルだけは憶えていたんです)
「カノン」という文字が出てきました。
楽器屋さんで楽譜を買いました。
ドルフィンパークでも、お世話になったゲストハウス「ムーンガラムマサラ」さんでも練習しました。
そろそろ千葉へ帰ろうとしている頃、高崎でヒッピーで人生を全うしている友人が危篤との連絡を受けて思いついたこと・・・。
ヒッチハイクで関東に帰ることに決めました。
僕はヒッチハイクが当時あまり好きではありませんでした。
というのも、旅人を満喫している時ならそれはとても良い。
出逢いに感謝して、乗せてくれる心の優しい人に
心から感謝して行動できるアイデンティティだったら良いと思います。
当時の僕は旅人であることに強い抵抗感がありました。
「音楽家でありたい!」が前提の旅でした。
金銭の都合がなかなかつかない故の貧乏旅行。
ま、音楽が出来るのならば、そこでの出逢いは幸せそのもの。
なので、僕が僕で一番しっくりいくスタンスで、友達の彼の元へ行こうと決めました。
「サービスエリアまで自力で行って、ダンボールの看板立てて、あとはひたすらカノンを練習する!」
4日かかりました。
「乗ってく?」と声かけてくれた方々にも感謝です。
みんな素敵な人でした。
なにより自分が「ヒッチハイクの上手なHow to」を採用しなかったのが
僕の満足と不満の僕らしさでした。
「乗せてください」と笑顔で頭を下げることは出来ませんでした。
出来る人は素晴らしいと思います。
きっと彼の人生はとても上手くいくと思います。
でも、僕らしく、関東までたどり着いて、
友達の死に目には間に合わなかったけど、彼へのはなむけと御縁を想うと
一番有り難い行動をさせてくれたなぁ
と思っています。
翌日の火葬場、そしてお骨の分配には行けました。
飛行機、新幹線なら余裕だったし、当時の僕の可能な範囲で、高速バスでも可能だった。
いまどき、ヒッチハイクする人なんているのだろうか?
いや、きっとyoutuberさんやブロガーさんが、しっかりアウトプットの道筋を考えてする人がいるだろうな。
当時もどうして「自転車日本一周」とかの旗を掲げて周らなかったのか。
それはとても僕らしさなんだと思う。
今も何かシンプルでわかりやすいキャッチコピーを作って
それを元に行動するのがベターなんじゃないかとは思うのですが・・・。
せめてものわかりやすさ、タグ付けのしやすさを学びとして
「ウクレレ」の看板だけは背負わさせていただきます。
音楽から、いろいろいただいています。
音楽という様々な出逢いによって
多い少ない、大きい小さい、優れてる劣ってる、富んでいるか貧しいか、
そんな比べる目盛りをゼロにして
今の僕はここにいると思っています。
※"192kbpsのMP3”でこちらからダウンロードして聴いていただくことが出来ます。
2019年2月に、2013年に完成させた音源をリマスタリングして発表しております。
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。