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ロストロストジェネレーション

心と出来事の推移。

韓国から船で帰る。

韓国でお世話になった方が
偶然にもその日、
博多へ来てライブされるようなので
「行きます」
と言って、
朝から晩まで博多で時間をつぶすことに・・。

いろいろやってたら
瞬く間に過ぎちゃったんだけどね。

*******

そのひとつが
ツイキャスを使ったライブ配信でした。

その韓国の方が
ライブ配信に参加させてほしいと
仰ってくれたけど、
エンターテイメントな感じじゃなくて
独りでこっそりやりたいことを告げて
断った。

そして、
どこか適度な
ウクレレ弾くのに心地好い場所を
探した。

博多周辺は、
人も多く、
車を停める場所もままならない。

20分ほど車を走らせ、
郊外のこんな空き地を見つけて
落ち着く。

配信予告時間の30分前!

人気もなくて
静かな場所。
と思いきや、
それでも街全体が、
高速道路や、国道の
車のノイズに包まれている。

韓国でも、日本でも、
ずっと騒々しい街の中にいたな。
静かな場所は
宿の部屋に入った時だけ。

世の中ってそんなものなのかな?

マイクを立てて
配信を開始する。

・・・誰も聴きに来ない。

いや、けっきょく
2人ほどは、
楽しみに聴きに来てくれたみたいだ。

あぁそうだった。

僕ってこんなもんだった。

「韓国から帰ったよ!」
っていう、
僕のテンションは高いんだけど、
そんなこと
知ったこっちゃないのが
世間のほとんどだ。

だからこそ、
こんな僕を待っててくれる人が
1人でも2人でも「いる」
という事実が有り難いし、
僕はそれに支えられて、
「やる気」を保てている部分もある。

でも、
これでいいのか?
という部分もある。

このnoteを読んでくださっている方が、
そんな有り難い、
お一人お一人なので、
非難と捉えられるような
表現をするわけにはいかないが、
やっぱり絶対的に
「数」が少ない
という事実は
心に影を落とす。

「詩」を歌う行為はやっぱり
誰かに届ける気持ちがあってこそ
声に出せるものなので、
「独り言」とは違う。

誰も聴く人のいない意識で
詩を歌う必要はなくなる。

「練習」というモードだって
いつか「本番」という
多くの人に聴いてもらう
「希望」があるから
張り合いをもって
することができるんだ。

・・・という
概念があります。

*********

ではもっと対策を練らなくては
ならないのか?

聴いてもらうための努力。
視聴者に楽しんでもらうための努力。
多くの人に
リーチするための努力・・・。

******

それで「何を成したいのか?」
どんな成功を望むのか?
その労力は
その望む成功を手に入れるために
見合うものであったり、
注ぐべき力なのか?

*******

もっとゲストを迎えたり、
企画をポップにして、
世間のニーズに合った
カテゴリに付着させるべきだ。

もっと毎日同じ時間に
スタジオ、部屋から配信したら
どうだ?

*******

「毎日」は・・・
本気なら努力すべきとは
思うのだが、
屋外でこっそりウクレレを弾きたい。
という
ニッチなコンセプトは
譲れない。

最適な場所を探すのは
楽しみでありつつも、
それに時間を費やしていると、
独りよがりな趣味を
楽しんでいるだけで、
視聴者の数字は
これ以上伸びないような気がする。

誰が僕のこの情熱を
期待してくれているというんだ?

いや、
期待してくれている
数人のファンの方々は
本当に有り難く、
さらに僕が
自由にしていることを
喜んでくれている。

そう解釈している。

だから
ファンでいることも自由だし、
僕も
期待しないことが
最良だと思っている。

*******

一方、
ネットのニュースを
惰性で見ていたら、
ツイキャスで、
リクエストに応えて、
いろんな人の歌を唄って、
投げ銭を受け取って、
金額が120万円とか・・・。

副業とみなされて、
20代の教師が解雇。

なんてニュースを見た。

*******

なんか・・・
やり方次第で、稼げるんだな。

稼げるやり方が
あるんだな・・・。

*******

それを羨むのなら
ちゃんと稼ぐ勉強をせい!
と、心の声が僕を叱ります。

ツイキャスで
投げ銭を受け取る方法も勉強せず。

ファンから何か
サポートを受け取るような仕組みが
どうなっているかも
わからずに
ツイキャスライブを30分。

時間延長を視聴者が望んで
投げ入れるチケットみたいのも
あるみたいですが、
その機能もオートオフにしていると
記憶しています。

*******

夜になり
ライブに足を運ぶと、
お客さんも疎ら。

でも、
縁ある方々が、
足を運んでくれたようで、
楽しく事が運ばれます。

そのミュージシャンの方は
60代くらい。

知る人ぞ知る、有名な方らしいです。

一時期、有名だった人。
どこかのハタケでは有名な方。

ハタケが違っても、
知名度、ブームが去っても、
変わらずに活動されている方々が
たくさんいます。

歳をとっても、
若かった頃と変わらずに。

「あの人、消えちゃったね」
なんて、世間から揶揄される人たちも
生きていれば、
みんなどこかで生きています。

********

それはそれで
感慨深いものがありました。

そして、
僕にはそこに居場所があるわけではない。
とも思いました。

********

ライブ、ライブハウス。
そこはそこで
人間関係が出来上がっている。

若かった彼らは、
若かった頃の居場所で
祭りを続けている。

彼らの築いてきた
会社があり、社会があり、
人、モノ、様々な「財」がある。

そこに下の世代の居場所はない。

********

では、
僕より下の世代はどうなのか?

ネットやらアカウントやらを
ネイティブに使いこなし、
新しい人間関係の創り方を
構築している。
・・・のかな?

********

「ロストジェネレーションて
そういうことか・・」

と思った。

1976年生まれです。

*******

そして、
幸か不幸か、
このロストジェネレーション内でも、
居場所を確保することが出来なかった。

ロストロストジェネレーションだ。

90年代、00年代当時の
「『価値』ってのはこういうもので
こうやって生きるべきなんだよ」
という教えに懐疑的で、
聴く耳を持っていなかった。

だから、
学歴の優劣とか、
全くもって「?」な世界で生きれた。

バンドブームにも
一瞬たりとて乗れなかった。

バンドも組めなかった。

*******

何も手に入れてないので、
何も失っていない。

いや、
家族とか、田舎暮らしとか、
流れ流れて、
いろんなもん
手に入れてるんだけどね。

*******

ライブ配信しても
誰も(ごめんなさい2人くらい待っててくれたね)
待っていなかった。

家に帰ると、
待ち侘びていた
子ども2人と
奥さんは待っててくれたかな(笑)。

*******

で、
この事実を受け入れると
音楽は
必要ないということになってしまう。

僕が望む、
表現したい音楽は
必要ないということになってしまう。

適材適所に振る舞えたら好いとは思う。

(あ、バンドはやれてるか・・)
バンドでは
そこに必要な音を鳴らせれば
それがベストだし、

相手が子どもなら、
子ども向けの音楽が必要になる。

高齢者向けの音楽なら
その世代のヒット曲を歌えれば好い。

*******

必要のないところで
音楽は鳴らすべきではない。

場違いな場所に
居るべきではない。

適した振る舞いを出来ない人は
その場所に居るべきではない。

存在するべきではない。

*******

それでも
在らしめようとする
拭い去れない、
拭い去りたくない「僕」がいる。

ダサいヤロウが
何か勘違いして、
カッコつけているよ。

カッコいいと思っているのかな?

ダサいよね。

でも、
彼は居る。

堂々と。

傷ついているのもわかる。

カッコ悪い人を
カッコ良くしてはいけない。

ロックスターなんて要らない。

だってそのダサさと
僕は響きあって
僕もそれを表現しようと
人生を始めたんだから。

最初から
サクセスの姿なんて
求めてなかったんだ。

***********

今日は、
韓国行って滞っていた
畑と、田んぼの作業を進めます。

それでも明日日曜日、
21:25から、
おそらく人気のない
夜の道の駅で
ツイキャスライブ
やろうと思っています。


うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。