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正規か非正規か

正規か非正規か。

これを巡っての論争が
2000年くらいから
ずっと外野で(僕にとっては)
叫ばれているような気がする。

不景気が実感されるような世の中になってから
ずっと、
「誰もが非正規から
正規雇用の社員になりたがっているもの」
と、前提の定義とされている
ような気がする。

そんな世相の最中、
小泉内閣あたりで、
派遣法やら、
「自由な働き方」
とか言って、
どんどん非正規雇用が優遇され、
終身雇用が終わっていった。

********

小泉内閣は人気があった。

「騙されていた」と、
反省する人も多い。

で、
今のディストピアな日本があるわけだ。

*******

それは僕もそう思います。

今、日本はディストピアである。と。

*******

で、
今も僕のタイムラインに上がってくるニュースや
コラムは
僕ら、1970~82年生まれの
ロストジェネレーションが、
何とか、非正規から
非正規社員になれる道筋を!と。

誰もが望んでいるだろう前提条件を
精査することなく棚上げしてくる。

終いには、
僕みたいな、
月5万円(以下?)の収入(バイト)と、
親の年金で
「貧困」ではなく暮らしていると
思っている人。

いざとなったら
生活保護を申請するよ。
だなんて、
考えが甘い。

働ける人は
働かなければいけないらしい。

またその「働く」という前提条件も
「賃金労働」で
資金を回せる人の
おこぼれで
働かなくてはいけないわけだ。

今からでも、
10年後でも、
同じ条件だったら、
出来る限りモラトリアムで生きていこう。

と思ってしまうのは
自然な考えではないですか?

*********

そして、
問題なのは、
僕にとってずっと、
この社会意義が、
どうでもよかったこと
が問題なのです。

正社員になるのか、非正規雇用になるのか。

その前に、
それはどんな仕事なんですか?
ってことが
全く問題になっていない。

IT系?
土木? 建築?
マックジョブ?
医者? 弁護士?
カウンセラー?

それらの仕事に就いて、
あなたは何を成し遂げたいの?

自分をどう叶えたいのか。
社会をどう叶えたいのか。

その舵取りを
政府が「円」を使って行うか?

それが出来ているんだったら、
国体としては
優秀な方かもしれない。

*********

で、
僕はこの個人の人生で、
「どんな表現をするか?」
ってことばかりに悩んでいた。

出会い、感じたことを
どうやって表に現してやろうか・・・
そんなことばかり考えていた。

だから、
一番辛いのは
若い時、
表現力が乏しくて、
ボキャブラリーや、
楽器の演奏力が
まだまだ拙かったこと。

今、
だいぶ上手になった。

だから、
表に現していきたい。

それに人生を費やしたい。

正規、非正規とか
そういう問題ではない。

健康でありたいとか、
お金が必要とかは
表現活動の妨げにならなければ
それに越したことがない。

ということ。

*******

7年前に、丸鋸で、
家の薪を切っている最中
左手人差し指を
1センチほど切断してしまった。

去年の11月は
田んぼの猪除けの電柵を撤去している時に
コケて、右手中指を突き指。

大事に至っていないようでいて、
意外と今も、バネ指になって、
微妙な楽器の操作に
不具合が生じる。

そんなことよりも、
表現力がついたはいいが、
活動はずっと滞ったままだ。

でも、そんな愚痴を言っていても
仕方がない。

「ライブさせてください」
「集客できない人はお断りです」

まぁ、みんな自分の暮らしに
必死な時代、日本だよね。

他人の表現に、
何らかのメリットがなければ、
付き合ってくれはしまい。

でも、
ライブ配信とか、
レコーディングとか、
とりあえず、
インターネット通信費と、
パソコン、周辺機器に
投じる資金さえあれば
表現活動は出来る。

*******

必死で生きている。

もう、いつ人生が終わるかわからない。
いつまでこの肉体で
表現できるかわからない。

*******

正規とか非正規とか
どうでもいい。

「表現活動」さえ、
お呼びでない、
他の「やるべきこと」が
たくさんある。

*******

音楽の予定が
無くなったかと思えば、
その隙間に、
家の修繕、子育て、PTA、
この僕らの生きる社会を
どうしていこうか。

どうにかできるもんだったら
力になりたい。

どんどん自立していた
村の生活も
巨大企業に吸収されていく。

大企業の「正社員」となって、
家族の暮らしを守ってもらおうか?

一族の暮らしを守ってもらおうか?

「一族」の概念なんて、
日本にはもう
無くなってしまったよな・・・。

非正規は暮らしを守ってもらえないけど、
正社員になれば
守ってもらえるのかな?

何を守ってもらいたい?

金額?
社会保障?

これだけ壊れた社会に
何を保障してもらおうっての?

*******

で、僕が大切に思っていることが、
世の中に「必要なこと」であるとは
冷静に考えて思えないよね。

僕は多分、
世の中がどんな風になっても、
感じて、それを表に現れたらいいな。って
想ってるだけなんだ。

高校生の時に
偶然手に持っていた漫画
「我愛天安門」の一説を思い出している。

爆風スランプのファンキー末吉さんが、
バンドを脱退して、
一人、旅に出た中国の漫画だった。

天安門事件の最中、
バリケードの中でギター持って歌う若者。
歌う彼の彼女が
「食べ物が手に入ったわよ。食べて」
「要らない。お前が食えよ」
「あなた、何日も食べてないでしょ」
「俺は大丈夫だ。
俺は詩を食う

*******

腹が減っては
詩は歌えなくなるだろう。

健康で文化的な暮らしを送っていたい。
とは願う。

ただ、最後まで、
大いにこの身体で、
味わって、感じて、
出来ることなら、
それを表に現していける人生を
僕は願うのです。

正規、非正規、生活保護、
そんな制度に囚われていたくない。

囚われなくても生きていけるような
社会を創っていければと想う。



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