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感じて、考える。

当たり前と思っているけど
日々、お金を請求される。

電気を使ってはお金を請求される。
家、部屋に住めばお金を請求される。
寒さを凌ぐカーテンにお金を請求される。
車にお金を請求される。
ガソリンにお金を請求される。
病んで医者行けばお金を請求される。
保険にお金を請求される。
健康でいようと何かを始めれば
お金を請求される。
インターネットにお金を請求される。
デバイスにお金を請求される。
冠婚葬祭にお金を出す文化がある。
税でお金を請求される。

請求されたお金は
どこへ行くのだろう?

請求した人のところへ
行くのだろう。

請求されて、払うのは
構わないのだが、
払ってばかりだと
僕の手持ちがなくなってしまう。

僕も何かして
お金を請求しなければならない。
「しなければならない」という
ループに
参加しなければならない。

******

何をすれば
お金を請求できる?

相手が欲しがっているものを
提供すれば
お金を請求しやすい。

なくてはならないものを
提供すれば
お金を請求しやすい。

でもちゃんと
「請求」しなくては、
お金はいただけない。

ちゃんと価値を
有り難さを
アピールしなければ
市場の舞台に立たせることは
出来ない。

*******

「やりたいことをやる」
ではない。
「やってほしいことをする」
のがポイントだ。

*******

やってほしいことを
してくれる人がいる、
サービスがある。

そこでお金を請求される。

「有難う」と
お金を払いたいところだが、
払えるお金を持っていなかったら
我慢する。

その欲望は我慢する。

もっと、
なくてはならないところに
お金を払う。

なくてはならないものに
お金を請求されるので
払わないわけにはいかない。

水、空気、燃料、衣料、医療・・・

********

僕も
誰かのニーズを満たす仕事を
選ばなければならない。

もしくは
ニッチでもメジャーでも、
ニーズに請求できるように
仕事を
デザインしなければならない。

********

このデスゲームを
椅子取りゲームを
いつまで続けるのかな?

勝てないゲームに
強制参加?

勝ちたい?

負けたくない?

*******

やりたいことをやるということ。
夢を叶えるために、
先ずは、その前に、
誰かの「やってほしいこと」を探す。

夢はずっと「お預け」ですか?

右手を伸ばせばいいだけなのに、
左を向いて
長い旅を始める。

そんな感じがする。

*******

いい気分になるために、
いい気分になってもらおうと、
そちら側に合わせる。

あなたが喜んでくれると
私も楽しい。

それは素晴らしい。

で、「私」の役割って何?

喜んでもらうために生きる?
喜んでもらうために
何にでもなれる?

それは「私」である必要ある?

「役に立った」の
引換券としてのお金。

*******

唄いたい詩を歌って
誰にお金を請求しよう?

唄ってほしい詩を
歌ってくれと依頼されて、
それに応えられるなら
依頼者に
お金を請求しやすいな。

弾いてみたいウクレレを
「教えてくれ」と依頼されて
それに応えられるなら
依頼者に
お金を請求しやすいな。

******

生きたい生き方を
抑え、抑えて
少しでも
ニーズに応え、
仕事を探す。

求められている姿を求め、
誰もがウロウロ・・・
ゾンビみたい(笑)。

そんなゾンビのニーズが
本当の「求め」なのかは
怪しいもんだ。

いや、
本当のニーズを満たしてしまっては
新たなニーズが生まれなくなる。

病みが晴れれば、
治療は要らなくなる。

自身が健やかに生きられるように
なったら、
誰かに何かを求めなくたって、
支払わなくても
いいよね?

足るを知って、
何を求める?

*******

あなたに
我慢して、僕のニーズを満たそうと
そんなにサービスしてくれなくてもいいよ。

請求されても払えないから。

僕はもう、
そんなに我慢して、
いるかいないのかわからない
誰かのニーズを満たすために
労力を使いたくないんだ。

僕の人生に費やせる
リソースは限られているから。

みんなだってそうでしょ?

もっと力を合わせていける
やり方が
きっとこれからあるはずだよ。

*********

ウクレレを教えるのが
嫌なわけじゃない。

僕のできることで
誰かに喜びを提供できることは
生きる幸せだと思う。

でも・・・でも・・・

********

コロナ前と後で、
世界が変わったように感じる。

でも決して
「コロナ」でおかしくなった
わけではない。

ただ、これだけ
世界の価値をひっくり返すようなことが
出来ちゃうんだ!
という衝撃は
目の当たりにした。

お金なんて
どうにでもなる。
やり方次第なんだな・・
という現実を見た。

「本当の価値」を
考えるきっかけになった。

「お金」という
日々変わるパワーバランスのゲームに
振り回される僕らは
「くだらないな」と、
内心感じれるようになった。

無駄な会議。リモートでいいじゃん。
通勤ラッシュ。お金のやり取り。

真面目に働くのが
馬鹿らしくなった。

という声も聞く。

********

やり方次第でお金は稼げる。
でも稼げるやり方をしないと
お金は稼げない。

稼げる方法を
探さなければならない。

稼がなければならない?

働かなければならない?

働かなくても、稼ぐ方法を上手に使えば
稼げる。
じゃ、働くことより
稼ぐ力がある方が優れているのか?

人は稼ぐために生きているわけではなく、
稼ぐと生き生き出来る時代が
かつてあったから。

そんな幻想を抱ける時代が
かつてあったから。

*********

日本語の
共通認識が
変わろうとしている。

「鬱」「自殺」「引きこもり」「ニート」

何か違う。

僕は
本当に
「ちゃんと生きよう」と
想うようになった。

暇になんてしている暇もなく、
やりたくないことを
やってる暇もなく、
頼まれた、頼られた仕事に
値踏みする時間と労力は
もったいなく、

今、生きる僕らが
生き生きと生きていられる時間を
少しでも大切にしようと
考えられるようになった。

「らしく」振る舞えていること。

正直な気持ちを
noteで整理する時間。

人と触れ合って、
新たに得られる喜びも。

気持ちを抑えて、
その場に留まる煩わしさも。

決まったライブ演奏も楽しみだし、

世間に寄せて仕事を得るために
装わなくても、
週に2回のツイキャスLIVE配信は
視聴者がゼロでも、
発したい「詩」や音を鳴らせて、
とても大切な仕事。

***********

お金を得るために
考えたり、したりする仕事が
馬鹿馬鹿しくなっただけで、
もっと僕らは
この世界で
生まれて、生きて、
新たに創ることが出来るんだろう。

これだけのことを
誰かの「手」によって
起こされたんだから、
そこに乗らない生き方も
在らせることが出来るでしょう。

「嘆く対象」から
離れればいい。

そこに費やすエネルギーは
無駄だから。

でも、
無駄なエネルギーを
費やせるだけの余力があった
かつての時代は
あれはあれで良かったのかもね。

昭和、平成、令和。
思い通りにはならなかったけど、
なんとなく
思った通りの流れだな。

幼い頃に
抱えた違和感は
全てクリアになっていっている。

「働かなくてはいけない?」とか、
「戦争がなくならない」とか。
色々あった。

学校で習う
「戦争は良くない」
「平和が良い」

「人」がすることでしょ?
自然現象じゃないんだから
始める意思と、終わらせる意思が
どこかの誰かになかったら
始められないんじゃないのかな?

なんて、
10代の僕は
誰にも言わずに想っていた。

「難しいことなんて考えないで
陽気に行こうぜ!」

90年代、そんな時代だった。

*******

そして最近考えるのは、
楽に、快適に生きれる未来を創るために
人生を費やして
人類は長年働いてきて、
これだけ科学やらなんやらで
楽に、天文学的に
出来ることの量を
飛躍させてきたのに、
なぜ今も、
どんな未来を夢見て
「働く」という行為を
行い続けなければならない。と、
誰の口が言っているのか、
わけがわからない。

きっとまた
数年か、十数年かけて
現実が
見せてくれることでしょう。

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お金について考える

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