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だめなひと

ふと、
自分の調子のせいか、
SNSでの友人知人の
リア充投稿のせいか、
いろんな想いが湧き上がり
寝付けなくなったので
書いています。

ふとよみがえる、
若い日の記憶。

そして、
こんな過去の記憶を
再生産している僕に
人生の「成功」は無いな。

と、想うのでした。

*************

「あの人、大丈夫?」

「君はいいけど、あの人はないね」

「あの人」とは僕のことです。

だいたい、
その言葉を、直接聞くことはなく、
間接的に、
後から誰かから聞かされることの方が多い。

僕は他人(ひと)から
そんなふうに思われているとも
つゆ知らず、
必死に、
うまくいっていない現実はあれど、
頑張っていた。

*************

今の僕はどうだろう?

「君、良くなったね。
あの時の君はダメだったけど、
好くなったよ。
今ならいけるよ。
僕がサポートしてあげるから
成功を収めさせてあげるよ」

絶対、こんなに明確なセリフを
吐く人はいないだろうし、

このような過去の当事者と
再会するようなことは
絶対ないだろう。

でも、
このセリフに相当する人との出会いは
自分の調子によっては
あるだろうな。

僕は、
そこの次元に
気付くこともなく、
付き合わずに
我が「慈愛の道」を
歩めばよいのでしょうけど・・・

*************

あの頃の「ダメ」だった自分は、
今の僕から見れば
お恥ずかしいかぎりだし、
使えない奴だし、
見るも無惨な姿で、
相手になんかしたくなかったであろう
気持ちもよくわかる。

むしろ、
あの頃の「僕」と
仲良くしてくれた人は、
本当に優しい人たちばかりだった。

もしくは、
同じ穴のムジナ。

「ダメ」な僕と共にいる
同じ「ダメ」な奴らだったんだと
今でも想う。

関わった人全てが「ダメ」で、
僕のことを「ダメだ」
なんて言った人も
僕なんかと縁があるくらいだから
同じ「ダメなやつ」
だったんだと想う。

もしかしたら
普段はとても「良い」ところに
いるのかもしれない。

僕と関わってしまった時点でだけ
そいつは「ダメな奴」だったのかもしれない。

*************

そんな、
あの頃のダメダメだった僕のようなやつと
たまに、いまだに
出会ったりすることがある。

若い人だったら、
可愛く、親身に、
救いあげてあげたい。いや、
余計なお世話だよな。
「がんばれよ〜」
という気持ちになる。

でも、
だいぶ歳を重ねたのに、
「まだおまえ、そこにいるの?」
という人とも
出会うことが・・・

やはり、
今も多い。

*************

僕は、
あの頃の僕とは違う。

きっと、
あの頃、僕を馬鹿にしてた人だって
「よくなったよ。
つきあいやすくなった」
と褒めてくれるに違いない。

今ならいける!

とも思う。

でも、
いけないんだな。

けっきょく、
僕は何も変わっていないんだろうな。

そして、
変わりたくもないんだろうな。

僕は、
「ダメなやつ」でなくなった自分より、
「ダメ」とか「よい」とか、
どっちでもない。

いや、
どっちも在る。
豊かな世界で生きたいと
想う。

もし、仮に、
僕が本当に
「ダメなやつ」でなくなって
上手く振る舞えるやつに
なれているのなら、
そんな「僕」を使って、
世の中を変えていきたい。

たぶん、今の、
今回の、この時代に生まれ、
生きる僕は、
この「いい」「ダメ」の
不文律の上で
生きるしかないんだろうな。

と、想う。

*************

やっぱり、
忘れらんないよ。

時々、よみがえる。

よみがえるし、
どうしても、
あの頃の匂い
「ゴミのような臭い」で
あったとしても、
懐かしく、
愛おしく感じてしまうんだよね。

僕より酷い人生を歩んでいる人も
たくさんいるだろう。

僕が憧れてしまうような
恵まれていたり、
諦めずに勝ち取れたり、
天然で、おひさまのような
人生を歩んでいる人も
たくさんいるだろう。

僕以外の人生は
計り知れない。

僕はただ、人生をとおして
思い知ることができる。

思い知ることができるなら、
想いを誰かに知らすことも
できるだろう。

*************

「豊かであれ」と
願いを込める。

ダメ出しをした、
僕に。
彼に。

相対化しないと
不安な心の影に。

時代に、歴史に、
これからの未来に。

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