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音楽とSNSとnoteとツイキャスと

ツイッターもインスタもFacebookも
ほとんどが
note、ツイキャス、ブログを
ただシェアする場所になってしまっている。

僕のアルゴリズムに因って
web上に挙がってくるニュースや情報からは
「SNSは終焉を迎える」
などという記事が目に付く。

日本や世界のあちこちで
知り合って、繋がった友達を
たくさん記録しているのは
Facebookだ。

こうして北陸とかで
災害があると、
しばらく会っていない友達が
気がかりで、
安否や近況を挙げてくれてたりすると
ほっとする。

氣にはかけている。

みんなが幸せで安寧であってほしいと
願っている。

ご近所付き合い
みたいな感じだ。

良いとか悪い意味はない。

でも、例えば、
僕の
もうヨボヨボになった
父と母に、
僕自身の夢や思想や葛藤を
話しても仕方ないじゃん?

あれこれ話しても
混乱させるだけだから、
親自身の心地良さを
叶えてあげるだけじゃない?

どんな身近な存在でも
そんな感じの例えです。

*******

僕の住む九州地域が
2023年も豪雨災害に見舞われた。

田んぼに行くために
耕運機を走らせる農道が陥没した。

「すごい!」様子を
インスタに投稿して
アピールする僕がいる。

いや、まぁいいんだ。

それぞれの近況を
穏やかにも、激しくも、
投稿してくれたら、
嬉しくもなり、心配にもなる。

でも、
何か、
本当に伝えたいことが
伝わらないような氣がする。

そもそも
伝わるかどうかなんて
わからないわけだから、
僕自身が、
表現しきれない感じがするんだ。

noteに
思いのままに
長文を書く。

一番伝えたいことや
アピールしたいことが、
2000文字の最後の方に来る。

*********

基本、
言いたいことや、
結論を
先に述べないと、
相手は最後まで読んでくれない。

英語圏の文化だと想う。

流石に世界を支配してきた
英語圏の思考体系は
優れていると思う。

**********

「お前は何を言いたいんだよ!」
って、
話に熱が入って、
うまく話せた!
って時ほど、
そんなツッコミで
会話を遮られるトラウマが
小学高学年の頃からある。

クラスの1軍の奴らにね(苦笑)。

***********

そんな僕は、
こんな僕で
かまわないと想っている。

そうして生きてきた。
だから
こうして生きていく。

タイムラインで消費されていく
キャッチーなコピーに
もう振り回されたくない。

2000文字の長文の先に、
僕の想いはある。

「で、何が言いたいの?」
と、結論を急ぐ人は
とっとと脱落してくれればいい。

「こうして」と頼んで
そうしてくれればいい
だけじゃないんだ。

売れればいい。
ってだけじゃないんだ。

人気者になる。
って希望だけで
人気者になってしまったら
それこそ恐ろしいや。

***********

少なからず
何人かの人が
僕のnoteを最後まで読んでくれている。

少なからず
数人の人が、
僕のツイキャスを
見てくれている。

目についた人に、
インパクトだけで
勝手な思い込みをされるのは
自由だけど、
そんな他人の気分に
振り回されるほど、僕の気持ちは
安くないんだ。

こんなんじゃ、
社会に
何のインパクトも与えられないんじゃないか
とも想うけど、
けど・・

but I'm not the only one.

イマジン

ニッチもサッチもいかなくなって
微風を感じた方へ行ってみる。

今、居る場所で、
唄い、踊る。

その詩が
いつか、今も、
表に現れているんじゃないかと、
現れ実っているんじゃないかと、
そう思う。

*********

2019年に北陸へツアーに行って、
いろんな人と知り合い、
友達になりました。

2020年に
また初夏に行く。と、
計画を練って
Facebookメッセンジャーで
やりとりするも、
みなさんご存知の
「コロナ」という渦に巻き込まれ、
遠い過去の計画になってしまった。

またあらためて、
今、繋がりなおそうと
想いながらも、
けっこうみなさん
Facebookから離脱しているご様子。

僕がそうだからかな?

何となく
音楽と共に
生き方も変わり、
行き方も変わったように
感じています。

また「今の平魚泳」で
行って、生きれたらいいな。

そんな風に想っています。

こんな文末になっちゃって・・・
また誰が読んでくれてることやら(笑)。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。