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「生かされる」と「生きる」

「こうして〇〇さんに呼んでいただいて、
こうして歌わさせてもらえているのは
本当にもう感謝しかないです」

こんなことが言える歌手の方や、
他の、色々な物事を
「やらせていただけて」いる人達には
本当に羨ましいかぎりです。

僕もそんなこと言ってみたいなぁ・・・

いや、形式上、言うこともあれば、
本当にそう思わせていただいて
とても幸せなときも
あります。

でも、やっぱりいつも、
なかなか
「やらせていただけている」
といった感覚にはなれなくて、
いつも周囲に感謝できてる人は
さぞ有り難い人生を送れるんだろうな。

なんて、
皮肉にも想ってしまいます。

じっさい、
本当に心地好く、
出会ったもの全てへの感謝が
伝わってくるような青年と仲良くなって、
嬉しくも一緒に演奏させてもらったりなんかして、
「あ〜彼は今後、どんどん
音楽家として成功収めていくだろうな」
なんて想ったんだけど、
じっさい、けっこうなキャリアを
積んで、あれからもう15年くらい経ってる。

まぁ、彼も彼で
そこまで出来た人間でもないし、
それは人それぞれの特性だから、
僕も、彼も、
それぞれの生き方をして、
また一緒に音を鳴らせるタイミングが
人生の中であったら
幸せだと想う。

************

そんな「感謝」が苦手な僕は、
それなりに正直に生きて、
今、こんな状態に在るので、
けっこう「幸せなのかな?」
とも想います。

でも、僕に、
「音楽をさせてもらえている」
という、
感謝はなかなか無いなぁ〜

言ってはいけないことなのかも
しれないけど。

でも、
「歌わせてもらっている」というより
自分の意志で「歌っている」だし、
「生かしてもらっている」なんて本気?
僕は僕の意志で「生きている」んだ。

************

人は、一人で生きているわけではない。
たくさんの人や自然との関わりの中
生きさせてもらっているんだよ。

そうだよ。

その通りだよ!

そう想えて、
そう言えたとき、
きっと「自分」に
大きな力が流れ込んできて、
自然に、
それこそリラックスした時にこそ、
人生は好い流れに
乗ることが出来る。

そうなんだろうなぁ・・・

そうだと想うよ(笑)

だけど、
その流れは
本当に君が望んだものだったの?

「エゴを手放し、
利他の心で生きるといいよ」

固執して、固執して、
うまくいかない人生を歩む。

何でそんなに固執しているんだろう?
と考える。

本当は何に固執しているんだろう?

こんなにうまくいかないのに、
人生の大半を
それに注ぎ込める
モチベーションの源は
何なんだろう?

ソレをやり続けて、
本当は何をしたいんだろう?

叶えようとしているんだろう?

もしくは日々、
叶えているんだろう?

「ソレ」は普通、
何らかの名前を使うよね?

「音楽」「演劇」「映画」「医者」「弁護士」
「カウンセラー」「農家」「大工」「政治家」
「公務員」「ゲイ」「レズビアン」「革命家」
「先生」etc

「あなたは明るいから
営業職なんかが向いていますよ」
「けっこう集中力あるから
研究職とかが向いているんじゃないかな?」

「向いている」とか
「向いていない」とか
関係ない。

描きたいイメージのある人生で、
それを叶えるために生きる。

向き不向きは関係ない。

早い遅いも関係ない。

人の声より、
「自分」から
聴こえる声に
耳を傾ける。

「こう生きる!」
と決めて生きる。

前に壁が立ちはだかる。
その壁は僕のものだ。

だって、きっと、
僕以外の人にとっては
壁として存在しているのか
・・・怪しいよね。

この壁に
生かしてもらっているのかもしれない。

この壁に
歌わさせてもらっているのかもしれない。

***********

きっと、
この世で生きる人生の役割を見つけ、
それに捧げて生きれる人生は、
さまざまなギフトが
与えられるんじゃないかと想う。

きっとこの世で「活躍」
出来るんじゃないか?と想う。

「本当は音楽家になりたかったんだけど、
そっちの才能なかったし、
私にはこっちの才能を生かした方が
世の中に貢献できるんじゃないかな・・
なんて思って」

なんていう
ご活躍中の方々の声を聞く。

自分が恥ずかしくなる。

自分の才能の無さに
氣付いてないから、
今もノロノロと、
重たい足、もしくは
追い風が吹いても
風に乗れない
1段ギアのチャリを
いつまでも一生懸命漕いでいるような、
独りよがりな人生を歩む。

「才能」って何だろう?
「幸せ」って何だろう?

*************

最近、ネットのニュースで
「ベルセルク」の最新刊が発売されると
聞いた。

作者の三浦健太郎氏が亡くなり、
「自殺島」で僕も愛読している
森恒二氏が監修を務め、
未完で終わっていた原作が
描き進められるとのこと。

10/13まで無料で読めるらしいけど、
う〜ん、僕は長年読んだ思い出もあるし、
沼にハマりそうだし、
ちょっと手を出すのはやめとこうと思うんだけど、
僕はこの漫画のいろんなシーンが、
事あるごとに蘇ります。

あ〜やっぱ読もうかな・・・

そうそう、今、それを引用したい気持ちは、
生贄の烙印を押されても、
戦い、生き続けるガッツが
神様に護ってもらおうとする信心深い民衆を
「お前ら 祈ってるだけだろーが!」
と一蹴したところ。

僕なんか、
そんな意気込みで吠えたところで、
昨日踏み潰したムカデくらいの存在にしか
なれないとは想うけど、
闇に魂を捧げ、
光の鷹と呼ばれ、
神のように慕われるグリフィスよりは・・・

いや、
希望を失い、絶望の拷問の果てに
夢のために捧げたグリフィスも、
ひとことで、いい奴、悪い奴とは
言い切れない。

***********

でも、
生かされている僕らは、
悪に生かされているのか、
聖に生かされているのか。

それとも僕らは
良い悪いの概念の奴隷なのか?

************

「ベルセルク」や、
うまくいかない人生に
育てられて、
僕もこんな物語を
創ることが出来ました。

誰かの期待に応えられるということは
とても力を得て、さらに大きく羽ばたける
チャンスだと想います。

でも、
誰からの期待を感じなくても、
描き続けてきたものがある。

これも大きな力なのです。

僕の命よ
導いておくれ

トレインソング

四方をこんな感じの秋の午後、
のて 書いてました♪

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。