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今を生きるぼくらの時代の詩

晩秋。
冬の気配となりました。

この季節に歌いたい詩がいくつかあります。

「ライブの機会がない」などと
もう、10年以上も悩む日々で、
流石に慣れたし、
家に篭り、レコーディングや
MV制作に労力を注ぐのは
それなりの対処だったんだと
今、感じています。

再生数も大したことありませんが、
大切にしたいことの雰囲気が
伝わる人には伝えられる出来には
なっていると想います。

だいたい、季節ごとに
歌いたい詩が違って、
何百回と人前でライブする機会が
あればいいんですが、
そんな華やかな人生では
なかったようです。

そもそも
詩の視点が華やかではない(笑)。

望んでいないのかもしれませんね。

※「華やかな舞台」の話は
おかげさまでこの11月、
毎週末、どこかのマルシェで歌わせてもらいます。

↓でもこんな暗い詩たちの
出番はなさそうで。

タイコの平魚泳の方で
慈しみ、届けることができたら。
と、そんな想いで
11月のステージは臨ませてもらいます!

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「逃亡者」

逃亡者の唄です。
誰か道連れ連れて
車で走り続けてる。

相棒がいてよかったね。


・・・・でも、その相棒って
本当にいたのかな?

なんて氣持ちで聴いてみると
ゾクっとします。

そもそも、
この詩の主人公は誰なのか?

「本当の存在」って
何なんだろう?

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「鬼」

淡々と日々を「勤務」で暮らす「私」に
突然現れた「鬼」の存在。

地方都市で暮らしてる感じ。

「鬼」とは何なのか?
と、語るたびに考えさせられます。
「鬼」を「神」と言い換えても
通じるんじゃないか?
なんて考えたりもします。

2011年の3.11以降だからこそ
想い描き創り出された想い。
なんじゃないかと思い、
「現実」の危うさを感じます。

2022年。
そろそろ
みんな「鬼」の掌には乗ったのかな?(笑)

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「たき火の思い出」

幸せな風景の詩を
創り出そうと想い描いたら、
こんな情景の詩になりました。

この詩を創ったのは18年ほど前。
僕も若く、家を出て、
両親も元気でした。

今・・・思う。

この情景は、
本当だっのか?とか、
僕の幸せは
両親にとっての幸せに
足り得たのか?とか
考えさせられます。

そして、
これは僕の人生なんだな・・・
と。


父は青森の
炭焼きで生計を立てる
文盲の父の三男として育ち、
田舎から上京して、
セレブな暮らしを夢見ながら、
科学の発展を賞賛しながら、
小さな家と家庭を持ち、
偶然にも家の隣に空き地があって
畑を趣味として
定年まで鉄工の仕事を遂げた
昭和のサラリーマンの庶民です。

そして、僕は
父のサラリー仕事のことは何も知らず、
ただ、父の畑仕事に顔を出すのが好きでした。

夕暮れにたき火する父の上着の匂いが好きでした。

隣の松林が無くなり、
家や、駐車場が出来ました。

たき火(野焼き)が
法律で犯罪にされてしまいました。

苦情が来るようになりました。

父は畑へ行かなくなりました。

数年の月日・・・
認知症になりました。

直ちに人体に影響は
なかったみたいですけどね(笑)。


僕は今、
この詩のような田舎で、
「父」として暮らしています。

息子が
子どもの頃の僕のような感性で
人生を歩むかなんて
まったくわかりません。

ただ、リアルに山火事に注意しながら、
家の横で、夏の枯れ草をたき火する。

こんな詩を創った僕だから
今、ここに居るんだな…
と想いながら。

*************

以上
晩秋の3曲、
聴いてくれたらありがたいです。

これは「僕の人生」なんだな。
そんな氣がします。

そしてこれが
「僕らの時代の詩」。

そうだと想うし、
そうなればいいな。
と夢見ているのです。

違う感性の人が、
僕以外の人の数だけいて、
そんなすべての違う人生が、
今、綾なしあって
ここに在る。

世はこの先どうなって、
僕らどうしていくんでしょうね♪

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。