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春が来て、種を蒔く。

春が来て、
noteを書く時間があまりなく、
日々をこなす日々が続いています。

でも、
日々、何かを想いながら、
泡つぶのように浮かんでは
消えてゆく想い。

わざわざ書いて留めて
固定しなくてもいいんだけど、
やっぱり現実を、
僕が感じている現実を
しっかりと表に現して、
舵をきっていこうと想うし、
出来ることなら、
些細な流れ、響きに
影響を与えるような「存在」を
現したいな。

そんな風に想いながら、
モーニングnote」の時間、
要るな・・・
なんて思うわけです。

*********

春が来て、
草花、木々の成長が著しい。

草を刈り、
畑を耕し、
あれもこれも
手を加えなきゃ!
が満載の日々です。

理想を語ったら、
それを行動におこす。

そこに時間と労力が必要となり、
toDOが膨張してゆくわけです。

優先順位や、しっかりスケジュールを
立てればいいのに。
誰かに頼んだり、頼ったり、
発注したりすればいいのに。
先ず目に入ったあれやこれや、
電話がかかってくれば
安請け合いをしてしまう。

・・・悪くはない日々です。
流されているし、
流れているね。

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畑をしていて想うのが、
時間があればあるだけ
やることがある。
全てをこなすことはできない。

それで、出来る限りのことをやる。
それが、畑や家の風景に現れる。

それを眺める。

*******

落胆もあれば、充実感もある。

またその心象風景を眺める。

あぁ・・・
僕って、こんなんだな。
世界って、こんなんだな。

仕方がないよな。
忙しかったもんな。

仕方がないよな。
他に仕事が
なかったんだもんな・・・。

そのくらいの具合が見える。

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何を目的とするのか。
それをしっかり区分するのもいい。

収量を増やしたい。

安心安全の野菜を育てたい。

土に触れ、自然の癒しを感じたい。

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やってみればいい。
やって、現実を感じてみるといい。

********

野菜を育てるなら、
やっぱりちゃんと結果を出したい。
「自然農」とか、理想を掲げ、
多様性を尊重して、
一様に育つ、使えない雑草を、
見て見ぬ振りはできない。

だって、
育てたい野菜があるんだから。

優先させたい子がいるんだから!

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安定した収量を望むなら、
バイオテクノロジーを
駆使すれば良いだろう。

今は、農薬、肥料、
ホームセンターへ行けば
いくらでもある。

それらの消費活動を
安定的に行い、
土に、草に施す作業さえすれば、
「想い」の通りだ。

・・・本当に
「想い」の通りにいくのかな?

「ただちに人体に影響はない」
2011年の流行語大賞を思い出してみる。

良い影響、悪い影響。
「良い」とは何か?
「悪い」とは何か?

何をすれば
本当の「安心安全」が得られるのだろうか?

農薬を使わなければ、
身体に良いとは限らない。
人は必ず衰え、死ぬ。
自然の中にも「毒」はあり、
即効性、遅効性、身体に蓄積されるもの
色々あって、響き合っている。
命のサイクル、「自然」の一部なのだから。

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だから、
その具合の結果が今の現実で、
その生きる具合によって、
来るべき未来がやってくるわけだ。

言葉なんかじゃ言い表せない。

データなんかじゃ測れない。

唯、現実を見ると、
納得の「出来」だ。

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これを「癒し」と呼ぶのなら、
僕は畑で癒されている。

これを「癒し」と呼ぶのなら、
僕は「暮らし」で癒されている。

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こんなふうに生きたから
こんな人生だった。

こんな時代に生きたから
こんな人生になった。

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いろんな具合で生きている人がいる。

いろんな解釈で生きている人がいる。

それらが響き合い、
今の現実が現れている。

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僕は
厳しく、ストイックに生きて、
シャマンのような悟りを
得られているのかどうかわからないし、
まして語れるような能力も
持ち合わせていない。

「僕」を通して
見える現実からしか、
感じ、測ることができない。

そして、
共に生きるみなさんの
「感じている現実」の
声を聞いて、
僕はまた「僕」のフィルターで
感じるわけだ。

考えるわけだ。

でも、
様々な「人」や「存在」と
出会い、
その人たちが
僕に色々教えてくれた。

それを
僕は「僕」で確かめ、
僕の声として創り、
出来る限りの行動をする。

全ては
とてもじゃないけど出来なくて、
毎日を出来る限りで生きる。

そしてまた現実が
僕に見せてくれる。

点と点が繋がった「線」を。

その先の予測できる未来を。

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また新たな「点」が加わり、
方向は修正されるだろう。

僕らはそんなんばっかりだ。

だって一粒の「存在」のひとつでしか
ないんだから。

でも、そんな僕らは
それらを統べる「何か」の
「ひとかけら」の意志だ。

見せてくれている。

現実が
僕に見せてくれている。


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