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2024年、今後の人生の抱負

明けましておめでとうございます。

相変わらずの
早寝早起きで、
元旦の4時半。

独り、綿に囲まれた
小さな自宅スタジオで
noteを記しています。

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PTAやら地域の行事やら、
その合間を縫って
中国の大理にまで行ってきて。

怒涛の11月を終えた後、
部屋に篭り、
長年かけてレコーディングした
音源6曲の
バランスを整える
mix&マスタリング作業に没頭していました。

そして、
奥さんの実家へ家族で帰省中の
12/24の早朝に、
サンタさんからの子ども達への
プレゼントを確認したあと
玄関から外に出て
車の中でのパソコン作業しつつ、
最終、イヤホンして
夜明け前の奈良の田んぼ道を
散歩しながら、
6曲の調整を完了させました。

早朝の散歩の風景

ジャケットの絵を描き

その後、
ストリーミング配信に載せてもらうべく
ディストリビュート会社へ入稿して、
noteにもマガジン作って、
ダウンロード販売の手筈も整えた。

公式websiteのブログも更新して、

noteの記事も更新した。

・・・さて、
あとは何をすればいいのだろう?

という、今は抜け殻状態で
年末年始を迎えました。

*******

SNSで購入を促す。
CDを作る。

もっと宣伝を!
発信を!
とも思うのですが、
なかなか筆が進まない。
ここから先の作業が進まない。

noteやHPへの投稿も
すでにそうなのですが、
やったところで
微々たる影響です。

収入につなげるには
やはり今も、
とりあえずCDを作れば
1年で20枚くらいは売れると
思います。

結局・・・

卑屈にならずに生きるには
どんどん次へ進むが
好いんだろうな・・って。

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遺したい
曲がたくさんあるんです。

ソロウクレレの音源も
遺したいんです。

韓国語、中国語でも
歌えるようになりたいんです。

社会的な結果を創ることはできないけど、
やろうと想ったことを
行動する肉体は、今、
なんとか健全に保たれています。

有り難い! 

*******

ちらっと見ていたyoutubeで
誰かが言っていた。

『「売れる」「売れない」は
自分で決められないんだ。』

でも、
「やる」か「やらない」かは
自分で決める。
唯、すればいいんだ。

やったように成る、鳴る、
なるでしょう。

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どうにもならない。
と、考えて、
うずくまっていたら、
どこかに流れを感じます。

時は流れています。

例えば、
絶望や痛みに
身を埋めていたら、
次第に痛みは引きます。

泣いていたら
泣き止みます。

痛みに身を埋める時間も
必要です。
痛いんなら、
思いっきり呻いて、
叫べば、
痛みは和らぎます。

そして和らいだら、
必ず、
ずっとそこにいるわけにはいかず、
行き止まりの道の
壁に手を当てて、
その壁を頼りに
手探りで
また歩むことができます。

引き返すことになるかもしれません。

その振り返った帰りの道も
行きの道とは違う景色が
拡がっていて、
どちらにしても、
「新しい人生経験」と
なることでしょう。

*******

結局・・・

どんどん次へ進むが
好いんだろうな・・って。

想いついたことを
実行することに
また少しずつ
歩いていこう。

******

人生の時間の限りを
感じ、想うようになった。

40代が後半に差しかかった。

コロナ前がまだ、ギリ40代前半だった僕は
4年経って、人生の後半と、
感じられる年齢になっていた。

人生をかけて
何か「事」を
意識せざるを得なくなった。

お金とか、スタイルとか
格好に拘っていられなくなってきた。

幸い・・・なのかな?
歳をとると、
もう、そう生きてきてしまっているので
若い頃みたいに
髪の毛を染めたり、
髭を伸ばしたり、
スーツだとか、ジーンズだとか、
立場だとかに身を装って、
主張する必要を感じなくなる。

もっと若い頃から
そう生きいれてたら。
とも想う。

でも出来なかった。

だからダメだったのかもしれない。

そして、今後とも
それをやることを放棄してしまったら
もうそのグループでの
居場所は無いのかもしれない。

*******

それでも風を感じる。

隙間風を感じたら、
そこに手を伸ばし、
思いっきり息をする。

生きている限りは
そうする。
肉体の限りでそうする。

きっとこれから、
今まで出来ていたことが
だんだん出来なくなって。
でも、
出来なかったことが
出来るようになる現実にも
耳を傾けるんだ。

*******

くだらない、
スマホから与えられる
操作されたニュース記事に
「老害」について
書かれていた。

確かに、
20代、30代は、
自分も
時代と人生の真っ只中に
いるような感覚があった。

「世界とはこういうもの」の
中にいた。

「老害」とは
40代に差し掛かり、
20代、30代だった頃の価値観で
40代になって、
蓄積された地位で
若い価値観を認めないと、
孤立してしまうこと

らしい。

確かに、そうおもう。

でも僕は
若い時から
地位も立場も得られなかったし、
社会的立場は弱くとも
バンドや、音楽や社会活動の
仲間と、何かやってやろう!
って居場所には居れた。けど、
そこからも
随時、離れていった。

みんな、今、どうしてるんだろう?

若い時分でも、
不確かな不安を安心させるべく
囲い込み、固定しようとする
「コミュニティ」の内での
地位の蓄積に
馴染めなかった。

そんな「孤立」を
居場所として、
ずっと馴染んできてしまっている。

人生の方向転換が
出来なくなってくる。

でも、
今更方向転換してどうする?

とも想う。

*******

取り残された。

居場所がない。
という居場所にいる。

どこにいても
何か、居心地が悪かった。

その居心地の悪さが何なのか
ひとつずつ浮き上がらせ
手放していく。

そして今生、
最終的には
肉体も手放すことに
なるんだろう。

だから

もがけるうちはもがく。

感覚を味わい、
居心地の悪い、
摩擦のエネルギーで存在する。

*******

本当の「平和」が訪れる日は
いつになるだろう?
本当に、
平で和を為した時、
全ての存在は止まるんじゃないかな?

「平和」という
完璧な「状態」に在るよりも
少し「穏やかな流れ」の中に居たい。

「平和」の対局で在る
「混乱」の渦の中でも、
穏やかに、もしくは
力強く乗りこなせる
「身のこなし」が欲しい。

ずっとずっと
命尽きるまで、
唄い、踊り、舞っていられたらと
想う。

そんな人生にしようと想う。

*******

今年の、っていうか
今後の人生の抱負になってしまったな。

元旦だし、
まぁ相応しいか(笑)



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