指標
たまに街に出て、
消費活動を行うと、
たまに旅に出て、
消費活動を行うと、
物価高騰でか、
かなりの出費に驚いてしまう。
そして、
いろいろ支払いに使う
様々な労力で疲れてしまう。
何かを購入したのなら
それを活用しなくてはならないし、
それもいわゆる何らかの「サービス」に
消費すれば、
楽に暮らせるのかな?
その何らかの「サービス」という
供給能力にアクセスするのも
けっこうな労力を費やす。
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そもそも、
湯水のように消費活動を行うなら、
湯水のような収入がなくてはならない。
そちらの蛇口は止められているから、
出来るだけ消費を抑えなくてはならない。
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以前のように、
「このお値段でこの品質は素晴らしい」
なんていうマジックを
想定しにくくなってきた。
値段が抑えられている分、
品質も相応のものになる率が上がった。
壊れやすい作りになったり、
分量が減ったり。
人件費を抑えてるとかね。
逆に、以前から
その優れた品質を安い値段で保つために
搾取されていた人たちに
想いを馳せることが
容易になった。
そして、
「やっぱり、如何様にもなるんだ・・・」
と実感する。
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僕はあまり変わらなかったけど、
「コロナ禍」という風潮のおかげで、
ここにお店が在り続けて欲しいから、
街に活気があって欲しいから、
がんばって欲しいから、
昔ながらの飲食店が
一生懸命続けてるのを見て
そこへの投資の気持ちで
消費した時期もあった。
それで、
生産活動と消費活動は
お互い支え合う活動であることを
身をもって感じた。
そして、
無力感を感じた。
そんなはした金で
世の中は動いているわけではない。
と。
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消費活動をするためには
お金がないといけない。
お金を得るためには
生産活動をしなくてはならない。
生産活動?
何を生産するの?
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けっこうなマジックだと想う。
何かの生産物の対価であった
「お金」の価値が一人歩きして、
お金を生産することに
重きを置く世の中になっている。
僕が生まれてから
ず〜っとだ。
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何かを生産しても、
「お金」が指標なので
お金に替えなければならない。
GDPの概念がそれだ。
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お金を得ないと消費活動はできないので
お金の得れない人は自粛をする。
お金にならない生産活動、というか労働、
というか、
「暮らし」もけっこう忙しい。
というか、
お金があろうと無かろうと、
僕らは生きている限り
何とかして暮らしていくんだ。
種を繋ぎ、
道具を作り、
身体を動かし、
心を使い、
頭を動かし、
日々を暮らす。
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雨の後、筍を採り、
キクラゲを採り、
菜の花を摘んで、
食べる準備をしていると、
消費行動で得られる楽さが
身に沁みる。
生産者さんの労力、
市場、マネタイズ作業の大変さが
身に沁みる。
そして僕らは
分業することで
ここまで種の命を繋いできた。
「発展」と自ら呼ぶ行為を
してきた。
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お金を使えば容易に出来てしまうことが
お金を活用できないが故に、
ものすごく時間のかかる作業になってしまう。
洗濯機、車、自転車。
農作業だって、
機械を購入するか、
鍬で耕すか、
鍬を製鉄するかで
年単位で効率が変わってくる。
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それでも、
「向かうべき」と想う方向へ歩く。
バスが通っていようが、
電車が通っていなかろうが
関係ない。
関係なくはないか・・。
条件が合えばいい。
今さら時給を上げられても、
それを指標には出来ない。
新しい指標が必要だ。
それは各々が持っている。
胸の奥で繋がる指標だ。