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僕は「僕」に乗って人生を楽しもうと想う。

忌憚のない意見を発言できる。
そんな場の会議だった。

でも、発言しようと想ったけど
できなかった。
しなかった。

僕はこの農業集団の
全体をまだ把握していないし、
大きく関わり合っていく
コミットもしていない。
でも、愛する地元の
当然の無農薬で
実践している
尊敬するグループだ。

でも、
なんか本質的に「違う」と感じた。

でもきっと僕が今用いた
「本質」という言葉が
そもそも今の時代では
「間違い」なんだろうな。

だから何も言わなかった。

公に通用するような
モラルある、正しい意見ではない。

言わなかったことを
どうしてこうして
noteに書き連ねているのかと言ったら、
今の時代、日本、世界に
すべて共通している違和感だと想ったから。

そもそも、
世界はモラルなんかで
動いていないんだよね。

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みんな、誰もが、
金銭を得ることに苦労している。
金銭を得られなかったら、
社会も、事業も、暮らしも、夢も、
何のプロジェクトも
成り立たない仕組みになっている。
と、想われている。
のか?

だから、
何か叶えたい夢があったら、
そのために
マネタイズ方法を勉強するのが
夢の叶え方です。

だったら、
それだったら、
何かやりたいことを探すより、
先ずは、
「お金」というシステムを
先に勉強した方が有利なんじゃないか?

「夢」は(例えば)
あの時感じ、描ききれなかった想いを
絵とか、詩とか、
何とかして表に現したい、とか。

その「自己」を表現出来た後、
「身」だけでなく、
「世」へ。
共に響き合いたい。

その先の「夢」を叶えるためには
お金が必要だ。

どうすれば、
目標の金額を達成できるか。

となると、
僕は完全に手遅れだし、
中身が無くてもマネタイズ手法が、
権力であり、全ての意義と
成り代わってしまう。

これが「資本主義」ね。
資本に主な義がある世界。

元々は、
科学や社会の発展、
暮らしの向上の目安として、
「お金」という数字があったんだと想う。

だから、
意義のあることほど
大きくお金は動くもの。

そんな象徴だったのかもしれない
とも思う。

そんな便宜上の「象徴」も、
結局、太古の昔から、
権力のかけ引きに使われていた。

戦争をすれば
勝っても負けても
儲かる人がいる。

そのために
意義が用いられてきた。

裏とオモテ。
マッチとポンプ。

陰陽併せてひとつ。

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さて「本質」とは?

僕が感じた視点から、
何某かの本質が、
チラッと見えるような氣がする。

そのていどなんだけど。
だから書いてみようと思うんだ。

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この集団を運営する人たちは
なんとか、この意義のある活動を
存続させようと、
あれやこれや考えている。

それは、この活動を存続させるために
どうやってお金を潤滑させようか。

そんな感じだ。

その「お金の潤滑」の中に
「人」も含まれてしまっている。

なにしろやっぱり、
人が暮らしていくには
お金が必要なんだから。

ボランティア精神に頼るわけにもいかないし、
ボランティアではアテにならない。

人件費をしっかり考えてくれることは
今、コストカットで
人件費がまず削られる世の中で、
大いなる仁義にも感じる。

そして、
暮らしていける
最低限の金銭を稼ぐためには
事業の稼ぎが足りない。

意義を上手にプレゼンして、
適所を探せば、
どこかからの補助金が得られるかもしれない。

「補助金が得られるかもしれない。」
それは
「どこかでたくさん『財』を蓄えている人たちに
認められれば、お金を分けてもらえるかもしれない」
ということ?

こう翻訳してしまう僕自身に
とても生きにくさを感じます。

でも、同時に、
今、日本では、
潤滑剤としての
社会で自由に巡る「財」が
どんどん回収されていっていると想う。

「あるところにはある」

そうでしょう。

じゃ、そこのお仲間に入れてもらえるように
彼らのお好みの「意義」をプレゼンしますか?


生きにくく生きてきた僕が、
みんなの生きにくさを眺めている。

生きにくい、仲間がたくさんいる。

僕らはなんで、
こんなに生きにくい象徴のようになってしまった
「お金」に力を与えてしまうんだろう?

いつもお金に圧倒され、
攻略しようと頑張って、
ときには意義のあること、
利他精神で生きれば
お金は巡るんじゃないかと
信じてみたりして。
うまく自分の懐を巡るように
社会にジョインできれば
多くの人がそれを「成功」と呼ぶ。

でも、
そして社会の流れが
こちらに都合好く
流れるようになったら、
どこかで何かがきっと破綻するのでしょう。

たとえば、
今の僕の主張、
「お金なんて氣にしないで
各個人が『大切』と想えることを
やっていけたらいいのにな」
なんてのも、
叶ったら、
収支、会計の計算を
1日のほとんどの時間を費やし、
「仕事」として廻していた人たちは
破綻するでしょう。

現実的に「AI」なるものが
迫って来ているみたいだね。

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僕が今、
肌で感じている感覚。

公の場では言いにくい。

でも、
僕が感じてしまっていることが
確かにある。

もし、そんな言葉にならない感じが
他の多くの人たちも
感じ得る感覚ならば、
表層の動きが空虚であるか、
僕の、そんな想いの存在が
空虚であるかの
どちらかだ。

そして僕は、
空虚ではない。

世の中は多層で出来ている。

創造と破壊は繰り返されるのか?

それとも、
各周波数を行き来して、
多様な自由を手にするか。

自ずを分けた「自分」は
自ずと由って、
この身はひとところにしか
在り得ない。

TBSラジオを聴いていたら
TBSの世界に居るし、
周波数変えてニッポン放送へ行けば、
ニッポン放送の世界である。

僕は
「僕」に乗って
人生を楽しもうと想う。

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何か、言いたいことが足りていないな・・

何の成果も残していない。
そんな僕がこのnoteに
言葉を残せたのは
先日、ブログで、
しっかり僕の初心を
確かめられたからです。



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