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note書く頻度上げようと思ってます。

昨今、いろんなSNSがあって、
同じ動画や言葉を上げても、
再生回数とか、見てくれる人たちが
全然違う、らしい。
僕にも実感がある。

再生回数を求めるんなら、
簡潔に、短い動画、短い言葉でupした方が好い。
とか、
マネタイズするならこういう方法で。
とか、
戦略とセンスが問われる時代なんだろうな。

僕は・・・

noteが向いているんだろうな。
noteと出逢えてよかった。

noteを通じて
面識はなくとも、
どこかで暮らしている、
心ある人たちと繋がれることは
嬉しく、有り難い。

僕は、
日々、様々想っているんだけど、
簡潔に想いをまとめることが出来ない。

言葉をやめた時、
全てが数珠つなぎのように
「あぁ、そうだよね」と氣づいて、
行って、
帰ってきて、
向こうで感じたことを
言葉にして伝えようとすると、

「で、何が言いたいの?」と
合理性を求める、
現実的な人たちに
困惑を与えてしまう。

まぁ、だから僕は
あまり多く語らず、
抽象的な詩(うた)に
想いを乗せた方が
伝わるんだろう。と
音楽を通じて
詩を歌う。

でも、けっきょく
何らかのガクブチに入れないと
届けられないことも
充分実感している。

ライブ会場。
お客さんに足を運んでもらうためのキャッチコピー。
曲の題名。
アルバムのタイトル。
即興で何を伝えたいかの説明。
ジャンル。
カテゴリー。
タグ。
大きな声が喜ばれる処。
小さな声が喜ばれる処。
愛なのか。
激情なのか。
名を付ける。
言葉にする。

言葉にせねば現実は現れない。
「詩人」なので
そこは重々承知だ(笑)


河原で石を集め、
河原で売っても、
誰も買ってくれない。

パワーストーンとかいって
石をガクブチに入れる人の集まる処なら
もしかしたら価値が認められるかもしれない
し、
価値を否定されるかもしれない。

河原で石を集め、
河原で石を売っている姿に
詩情を込めて、フレームに収め、
その趣が共感されるメディアで発表すれば
もしかしたら
映画化されて、
レンタルビデオにも並ぶようになるかもしれない。

*************

で、
noteというガクブチは
けっこう僕に向いている。

簡潔にレビューするのは
僕にとっては不可能。

誤解を招くだけで
伝えたいことの半分も伝わらない。

*************

たとえば・・・「愛」

「愛」だけじゃない。
そもそも「愛」って何よ?
誰かを大切に想う気持ち?
だったらそれだけじゃないよ。
じつはもっと羨み、妬みとかもあって、
でもそれを「エモーショナル」とか言って
片づけて欲しくなくて。
そもそも彼(彼女)を想う氣持ちって
僕のものでしょう?
じゃ、「愛」って
誰が誰に向けたものなの?
語源はキリスト教用語じゃないの?
唯一神がいる、という概念が元じゃない?
だから誰が誰に向けるという概念がおかしくて、
僕らはみんな「神の子」である
という概念が必要で、
まずそれを理解した上で「愛」と呼ぶんだったら・・・
うーん。解ります。
優しさだけじゃなく、憎しみも、苦しみも、
神の創造物だもんね。
そこまで理解した上で「愛」と呼ぶなら、
まぁ、いいよ。

*************

黙れ!

と、大概声がします。

他人からも、自分からも(笑)

まぁ、この「哲学」を
流暢に語れるようなタイプだったら
ポッドキャストとかにアプローチしてもいいね(笑)。

で、字数の制限もなく、
視聴者への配慮もなく、
湧いてくる想いを素直にすらすら書けるnote。

氣にいってます。

上手に書くことや、
あまり批判や批評を意識しなくていい。

議論や論争をするつもりはないし、
読んでくれた方々も、
それぞれ個人の人生経験として
昇華してもらえたら。

僕もみなさんの記事、
そんな感覚で読ませてもらってます。

簡潔にまとめるのが下手なだけなんだけど、
氣がつきゃ1500文字を越えて、
2000文字も越えちゃったりする時もある。

長文書くのを「苦手」と呼ぶ人からしてみたら
僕には長文が向いているのかもしれない。

そして、こんな想いの丈を描いた長文を
ここまで読んでくださり、
「スキ」とか、コメントいただけた方に
悪意はないでしょう。

僕は真摯に言葉を綴っているし、
真摯に応えようと想います。

屋久島の千年杉が、観光地化されようとも
あの長い山道を誰もが汗流して登るんだから
悪意はないよね〜
って感じ。

僕が、僕の出来る限りの正直さで、
ここにいるんなら、
そりゃ、出逢う世界、みんなが愛おしくなるよ。
こんな感じ。

*************

上手に書こうとはしてないけど、
氣がつきゃ、けっこう1日の数時間を費やしているので、
「今、何してる」とかを呟くSNSのタイムラインに
消費されるのも、ちょっと不本意。

FBは面識ある友人知人とのコミュニケーションとして
重宝しつつ、
もう少しnoteへ書く頻度を上げて、
この、あまり努力をしなくても書けてしまうことを
評価は求めずとも、
才能として生かしていこう。
と、2022年、密かに想っています。

フレームに収めることは苦手なんだけど、
noteにはマガジン機能もあって、
自分の書いた記事を管理しやすいし、
タイトルやタグ付も
インスピレーションでぱっぱと決めればいいし。

有料記事にするとか、
有料サークル作るとかは
今のところ考えてません。

何らかのビジョンが生まれたら
何か変わるかもしれないけど。

河原で拾った石を
河原で売っている姿を
フレームに収めて価値を演出するより、
河原を歩いていたら、
河原の石を売ってる人がいるぞ?
と、価値判断なく感じてもらえたら・・・。

う〜ん・・・
本当は石を売って生計を図る哀愁を漂わせるより、(哀愁感じるんだね僕)
石拾って、積んで遊んだり、
水切りに夢中になる
童心でいたいんだけど。

それでもついつい、
石立てたら写真撮って
インスタに投稿することを
モチベーションにしちゃったり、
フレームや価値を求める。

因果な生き物です。人間は。僕は。

ここにきてさらに
話が広がりそうになってきたので
このへんで。

まとめると、
noteを書く頻度を上げていこう。
という意思表示でした。

長文、読んでくれてありがとうございましたm(_ _)m。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。