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気がつかないからやってこれた

以前もnoteに書いたことだけど、
自戒の意も込めて、
もう一度言ってみたくて、
ここに書き留めることにします。

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昔の自分の音楽を聴くと、
恥ずかしくて
穴があったら入りたくなる。

現実として
「穴が無かった」
という、
逃げ場がなかった。

というケースも
ハングリーな環境だったら
そこで何かを克服するのかもしれない。

僕もそういうところ
あったのかな・・・?

そんな実感はあまりなくて、
どちらかというと、
恥ずかしくなかったんだよね。

それはADHD気質な素質かもしれないし、
当時の世の中のレベル、もしくは
僕が身を置いていた
低レベルの人ばかりがいるような環境では
「そんなもん」だったんだ。

まぁ、僕だけじゃないでしょ?

昔の自分の写真が
お化粧したバンドマンだったり、
テクノカットだったり、
クロワッサンみたいなリーゼントだったり。
肩パットの分厚いスーツだったり。

その頃の人たちが恥ずかしかったのは
つぎはぎだらけの着物を着ていた過去だったり、
田舎の方言だったり。

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時代の価値観によって
何が「優れている」ことか
変わってくる事実も知りつつ、
自分の下手くそな歌声を聴いて、
よくもまぁ、
気づかずに、傷付かずに、
歌ってきたもんだよなぁ・・・

なんて思う。

最近もよく
「いやぁ 私は歌えません。
下手くそなんですよ」
と、謙遜する人が多くて、
でもじつは意外と上手かったり、
他の楽器や、音楽は堪能だったり。

すごく高いレベルの音楽を基準に
「私は下手だから歌わない」
なんて人も多くて、
「いや、歌なんて誰でも歌えるから
歌った方がいいですよ」
なんて諭しちゃった僕がいたら・・・

恥ずかしいやつだよね?

で、そんなこんなで
恥を晒しながら、
30年も歌って、
人生を生きて、
もう、そんな「恥」とか、
上手いとか、下手だとか、
どうでもいいし、
堂々と生きればいいんじゃないかな?
って。

それは歳をとったから
言えるってもんでもなくて、
若い時から、
時々立ち塞がる
「恥」「ダメな僕」と出会って
歩みを止めないこと。

止めなかったことが
今に繋がって、
誰とも違う
唯一の人生を生きている。

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上手いのに
やらなかった、
やめてしまった人がいる。

下手くそなのに
ずっと続けてきた人がいる。

やめてしまった人は
本当にやめてしまったのか?

やめて、始めて、やめて、始めて、
続けてきた「今」に
僕らは全員いる。

きっと、
上手い、下手。
向き、不向きで
僕らは選んでいないんだよ。

それをする。しない。
一言じゃ語れないビジョンがあって
だからするんだよ。

今、韓国語をオンラインで習って4年。

中国語にも手をつけ始めた。

日本語なら堪能なのに、
外国語だと3歳児のようになる。

続けるのか、
やめてしまうのか。

何らかのビジョンがあるから
それをする。

逆に、
「英語は話せたほうがいいよ」
なんていう、
借り物のビジョン(プロパガンダ)に
ちょっとげんなりしている僕がいる。

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蛇足ですが、
ハワイに行った時、
日本人コミュニティでの
お母さん達の会話に
「〜〜〜でも、
英語が話せたら
アドバンテージあるからね」
なんて会話を聞いて、
ん?「アドバンテージ」って何だっけ?
と、ググってみたら
「優位性」と翻訳され、
英語熱が冷めた。

僕は
お互いの文化の理解と尊重の意で
外国語を学びたい。

英語を話せると
優位に立てるなんて思って
学ぶ意欲は持てなかった。


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