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人それぞれの正解「なんでそれをするのか」
20代の後半に
ようやく「ちゃんと音楽を勉強しよう」
と思った。
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高校生以降の進路選択の問いに、
進学も就職の選択もなく、
唯、音楽がやりたかった僕は、
「音楽系の専門学校」を選ぶ選択肢もなく、
勉強する気も無かった。
唯、音楽をすればいいと思っていた。
感情を詩にして、
ギターを弾いて叫べばいい
と想っていた。
・・・ろくにギターも弾けないくせに(笑)
想っていたのだが、
世俗的な将来も気になっていた。
街で歌っていれば
誰かがスカウトしてくれるような
期待をしていた。
「やっぱりプロデビューか・・・」
なんて思っていたら、
自分が音楽家として、
何も「音楽」そのものが
出来ていないことを
何の壁にぶち当たらずとも
わかってしまっていた。
例え、万が一、
芸能人的成功の道が
拓かれたとしてもね。
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そんな僕が、
今後の人生も
「音楽」をやり続けるなら
インスピレーションや個性だけで
満足して生きられるか?
奇抜なパフォーマンスを
「アート」と呼びながら満足していられるのか?
と問うたら、
もう飽きが来始めていたんだろう。
00年代は
まだ、ライブして、人気が出て、
デビューして、成功!
という概念があった。
僕にはあった。
で、そんな成功を収められなかった人は
音楽をやめて
「趣味程度」という
「趣味」を格下、仕事を「格上」とする概念の中、
趣味程度に収め、
就職して、サラリーマンになる。
Rockはもう卒業だと
あいつは髪を切るのさ
お似合いだぜE頭だな
生意気な奴だったのに
何だか素直になったな
レスポールが重た過ぎたんだろ
レスポールは重いので、
持つ気にはならなかったけど、
音楽をやめる気も
「趣味程度」に留める気も
毛頭なかった。
↑ずっとこんなこと考えてます(笑)。
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「どうすれば売れるか?」
と考えることより、
先ずは
「ちゃんと音楽ができる人になろう」
と、
ようやく素直に思えるようになりました。
遅いよね。
それでも、
10代の、説明できないドロップアウト的な決断も
それはそれで
今も、今の僕らしさと
人生につながっているので
よかったと思います。
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そして、
運良く、
ナベプロの第一期生の時の
スタジオミュージシャンだった、
第一回レコード大賞をとった人の
バックで演奏していた。
と言う
おじいちゃん先生と出会い、
語りたがりな先生を
持ち上げながら、
親切丁寧に
楽譜の読み方、コーリュウブンゲン等、
コンガ、フルートを通して
西洋音楽の基礎を習いました。
先日電話したら、
先生、亡くなっていました。
本当にお世話になりました。
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そして、独自にも勉強して、
楽譜は読めるようになったし、
コードの理解、音階のスケール、
音律、倍音に至るまで、
極めはしないけど、
学び、理解しました。
で、
2010年前後の僕は
「楽譜くらい読めるようになっておこう」
という、
「音楽家」として
最低限必要と思われることは
身につけよう。
これから一生音楽をやるんだったら
そのくらいのことには
労力を注ごうよ。
という想いでした。
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そして、
6年〜10年ほど、
学びの時を経て、
楽譜をパッと見て弾ける人って
カッコいいけど、
遅く始めた僕には無理だな。
と思うに至りました。
でも、それは言い訳で、
楽譜を読む意欲が
僕にはあまり無かったんだという
気付きでもありました。
だって、10代の時
大学ノートに詩らしきものは書いても
ドレミを勉強する気はなかったんだから、
そういう性質の人生だったのでしょう。
若い頃から「音」の魅力に取り憑かれるような
「天才」もいるんだから、
僕はそっちの天才ではなく、
あっちの天からもらった才で
生きることになってたんだろう。
共に生きようぞ!
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楽譜やドレミを学ぶ。
それはそれで、楽しかったです。
バッハやショパンの曲を
ウクレレにアレンジして弾く作業は楽しかったです。
まず楽譜を見て、
ウクレレの音域で弾きやすいように
移調して写譜する。
そして、和音(コード)を紐解き、
優先したい旋律を強調する。
コード指定のない楽譜の
音の並びでどんな和音かを理解するのは
楽しかった。
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「G線上のアリア」という曲。
タイトルが有名というだけで、
どんな曲か知らずに、
楽譜を見ながら
春の公園で弾いていると、
だんだんとメロディが解ってきて、
その時、桜吹雪が舞い上がり、
「あぁ、こういう曲なんだ」
と感動して、
楽譜を見て「いい曲だね」
なんて言える人の
豊かさの感覚にちょっと触れられた
自分を嬉しく思いつつ、
そこまで行くのは無理だ。と
羨ましくなりました。
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僕にはそこに
エネルギーの全てを注げるほど
極めるモチベーションは保てなかった。
「ukulele classical musics」
というアルバムを作って、
ソロウクレリストへの道は
一旦、終えることにしました。
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ずいぶん昔にnoteにも上げていたんだな。
このアルバムが
僕の人生で一番売れているアルバムで、
僕もこういう作品は売れるであろう。
と思って、
狙って作りました。
*********
そして、
幸か不幸か、
言うほどには売れていないんです。
売れなかったんです。
でも、
他の僕のオリジナルソングとかの
アルバムよりは売れるんです。
よく知らない人の
ユーザーの思考を邪魔するような
歌が入った音楽より、
こういったインストゥルメンタルの方が
汎用性高いだろうな・・・
なんて思っていました。
嫌われることもないでしょう。
勝手に解釈されて
みんなが好きになってくれるでしょう。
気づかない人は、
何にも気にならないし、
気に留まった人だけ、
思い想いに好きになってくれるでしょう。
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そして、僕は、
なぜ「音楽」を手段として選んだのか、
もう一度考えるのでした。
楽譜が読めれば「音楽家」として
堂々と出来ると思っていた。
それでも、
僕がやりたい音楽活動に於いて、
その後も楽譜の必要性が
あまり無かった。
もちろん、とても役に立っています。
おかげさまで、
音楽を教えるような立場にもなれるし、
他の音楽家に対して気後れもしません。
まず、初見で楽譜が読めると言うヒエラルキーに
僕が属すことがない。
ということがわかったのです。
(それでも、楽譜を読み、
アレンジを考え、弾いてみる時間は
楽しいです。時間かかるし、苦手だけどね)
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そして、
ウクレレ教室をやったり、
ウクレレのレクチャー動画を作ったり、
youtubeにレクチャー動画を上げたり、
いろいろやってみて、
幾人かのお役には立てているとは思うんだけど、
そんなに広がらないんだよね・・・。
いや、おそらく、
僕がそんなに積極的に
やりたい仕事ではないんだと思う。
もちろん、
教わりたい方がいたら、
教えます。
でも、
ニーズがなくても
やり続けられることって
何だろう?
本当に夢中になれることって
何だろう?
求められようが
求められなかろうが、
夢中になれることって
何だろう?
僕は、
誰から求められているのか
求める人がいるのか
わからなくても、
僕が求める音楽があるから、
今も、
この
誰も歌っていないような詩を
歌っている。
それだけは
言い切ることが出来ます。
つづく。
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。