本当の姿
早朝、田んぼへ行って
草を取り、
午前中にパーキンソンの母を
施設から病院に連れて行き、
午後はPTA主催の授業の
部長として
アシスタントをする。
で、また日が暮れるまで
田んぼにいる。
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その時、その時に於いて
適した顔をする。
母をいたわる顔をして、
子どもの成長を願う顔をする。
草取りは「大事な仕事」
として、田んぼに逃げ込む。
地域行事の会議となれば、
この地域の行く末を
案じる顔をする。
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疲れた・・・
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さらにトドメなのは
身近な人がnoteを読んで、
言葉の使い方に傷付かれる。
ちゃんと読んでくれよ。
読んでも伝わらないのか・・・。
上記の文章だって、
冷淡な奴だと
思われかねない文章だ。
「嫌ならやるなよ」
と言われそうだ。
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そう言うことじゃない。
でも、疲れた・・・。
一応、
誰かに読んで欲しい気持ちも
加算しつつ、
noteは書いている。
でも、
タイムラインで「友達だから」
という理由で現れるSNSにシェアするのは
しばらくやめようかな・・・
素性を隠した裏アカウントではないけど、
ちゃんと考えてシェアすることにしよう。
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その場その場の顔でしのぎ、
LINEを見るのが怖くなってる。
「本当の顔」って
何なんだろう・・・?
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適した顔をしている。
適した顔が出来ている。
望まれたことをする。
そんなに難しいことじゃない。
相手はそんなに僕を見ていない。
僕を、その人の解釈で
勝手に感じてくれている。
余計なことは言わないで、
適切なテンプレート、
引き出し、言葉遣い。
お手本はChatGPTだ!
融和な表情、
本気な心を用意すればいい。
どんな人にでもなれる。
どんな「本心」を
持つことも出来る。
そこに適した「本心」を
持ってくれば好いのです。
演劇とか「役者」ってやつを
やってみるといいよ。
どんなに「自分」とかけ離れた役でも、
感じた「それ」を演ってみればいいんだ。
「型」から中身が解ったりもするし。
「自分」を使えば
何にでもなれる。
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「どうでもいいから出来るんだ」
とも思う。
大して抵抗もない、
僕自身の望み、理想、希望もない。
一緒にいる人の
望み、理想、希望に合わせる。
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需要に供給する。
需要のないものに
供給する必要はない。
僕の表現しようとしていることに
需要がなければ、
供給する機会はない。
ただ、
それは在るから、
表に現す。
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夜、寝られなくなって、
深夜に車を走らせて、
海の近く、
港湾に
明るくとも
静かにひっそりと佇む公園で、
最近出来た曲を歌った。
「ロストジェネレーション」
こんな詩を創ってしまったが故に
こんなに厭世的になってしまったのかもしれない。
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僕はロストジェネレーション世代。
でも、
ロストする前に、
何も手に入れていない、
「ロストロストジェネレーション」だ。
「成功体験」を拠り所に出来ない。
そんな感じ。
でも、こんな時代と共に生きてきた。
ヒトゴトとして創ってしまった罰だな・・・
しっかり「僕」のことでした。
そもそも逆に
誰も共感なんか
してくれないかもしれない。
「こんな時代」を
好んで映している僕だ。
「需要」がないのは仕方がない
のかもしれない。
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深夜、独り、
ひと気のない道の駅のベンチで
noteを書いている。
適した場所で、
適したことを書いている。
適した場所で、
適した詩を歌っている。
現すことは自他ともに
好ましくないことかもしれない。
闇なんて、
無い方が好いに違いない。
わざわざ
現す必要なんて
無い。
人目に触れず
ひっそりと消えていけばいい。
叶えた夢、リア充、チャンスを得て
掴んだ成果を
発表すれば、
更なるチャンスが
「光」と共に現れるに違いない。
Dreams come ture!
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疲れるから。
羨望するのも抵抗するのも
疲れるから。
もう世界に
そんな「好景気」を
望んでいない気がする。
「許可」の要らない
身の置き場が欲しい。
「もう何も
望まないことを望む」
あは(笑)
25年くらい前に創った詩で
すでに歌っていたのね・・・。
この詩を
「呪い」と呼ぶのか?
いや、
ずっと好きな世界観だ。
こんな世界観は、ずっとあって、
いろんな創りかけの詩があるけど、
長年、カタチにしてない曲も多々ある。
だって、
あまり現す必要のない世界観だから。
もうすぐ夜が開ける。
またきっと、
大きな声の奴らがやってきて、
また大きな顔をするんだ。
奴らに見つかる前に
・・・穴の中へ帰ろう。
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。