いつもの空港、マスクの無い風景。千葉へ!
コロナ禍が始まる直前の帰省の後、
そして、コロナ禍が始まった直後、
母から「父の様子がおかしい」と
電話があり、
僕はどうしたっけんだっけな・・・?
もう思い出せない。
今の父の状態より、
今の母の状態より、
だいぶ、まだしっかりしていたんだと想う。
コロナ禍は、
人類の総意のように、
マスクをして、
人との距離を置き、
「自粛」という強要を
じつは煩わしくもあった
「人付き合い」からも解放される
という条件と共に
…受け入れた。
僕は、
コロナと、
心の裏にある
「現実を受け入れられない」
という想いに依って
千葉への帰省を遅らせた。
「街」が
悲惨な状態だろうと
田舎からは予測できた。
それでも「都会」を
望む人たちがマジョリティである
という情報に
僕の認識とギャップがあるのだ。
と、言い聞かせた。
「街」は
「人」と接する喜びを除いたら、
何の魅力があるのかと
考えた。
「人」が近くにいるのに
離れてコミュニケーションするなんて
ナントカ地獄みたいだ。
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ようやく1年経った2021年に、
不要不急の移動が許されない空気の中、
飛行機を予約して
千葉の実家に帰省した。
その年の初夏、
父母を迎えに行き、
航空会社の介護サービスなどを利用しながら
大分の僕の我が家へ
連れて帰った。
大分へ来ること、
そしてその後は
大分へ住むことに
抵抗していた父母だったが、
運良く・・・だよな
父が滞在中に、
高熱を出して入院。
「帯状疱疹」でした。
1ヶ月の入院。
1ヶ月のリハビリ病院での入院。
その間、
まだ軽度ながらも
認知力の衰えている母も、
観念して、
僕の暮らす町の老人ホームに
入所することを決めた。
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その後は数ヶ月に一度、
空き家になった実家を片付けに
千葉の実家に帰っている。
今回、いつもの福岡空港に
朝、到着すると、
何か景色が明るい。
日の出が早くなったのもあるが、
みんな、マスクをしてないんだ!
まだチラホラ
マスクしている人も見かけるが、
このくらいがいい。
いろんな状況、
いろんな表情のある人が、
「人」が存在している。
街はこれがいい。
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でも、それと同時に、
ある種の、いつもの
胸がキューっとする感覚を思い出した。
東京に住んでいた時、
地方から東京に帰る飛行機で、
東京の
人工物に埋め尽くされた地上の景色を
見て、いつもなってたやつだ。
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正直、コロナ禍、
マスクをしていた人たちは
「モブ」に見えていた。
そして、僕もマスクをした瞬間から、
ただの通行人、エキストラの役割くらいの
立場になることを
受容していた。
それはそれで
マスクの下の表情も、
マスクの向こうの情景も、
どうでもいいから、
楽な心持ちだった。
移動時間の空間に、
何の必要性もない。
こうして
イヤホンを耳に突っ込んで、
カチカチとネットに向かっていれば
そこが僕らの表情のリアルな場所。
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で、最近は、
規制も解けて、
甘受していた日々から、
また、人と人とが触れ合う
刺激的な日々へ・・・。
行くのかね?
帰れるのかね?
帰らないだろうね(笑)
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「大切」だと想っていたものは
自身が「大切」だと想っていたもので、
「大切」だと想っていたものを
手放しても、
意外とそれは「絶対」では
なかったんだ。
そんなものがいくつか有りますよね?
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対して、
大して意味のないものだと
思う余地がたくさんあっても、
やめなかったものもある。
お金にならなくても、
合理的で無くても。
そもそも
「お金」が
合理的なものではなかったことに
気づいてしまったから。
音楽で詩を歌い、
表へ現すことをやめなかった。
LIVEがなくても、
お金にならなくても、
お客さんがいなくても、
「いる」前提で、
彼の身(神)に向けて歌った。
お米作りを始めた。
無農薬無肥料で、
お金にならなくても、
毎日、田んぼへ行って
鍬をふるったり、
はいつくばって草を取った。
需要がなくても、
「今」の需要に合わせ、
「今はこれをすれば儲かりますよ」
と、言われるがままに
自分の人生を預けるのは
闇、病みへの
入り口だと想った。
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今日、
千葉の実家へ着いたら、
伸び放題の庭の草木は
明日へ置いといて、
夜の西千葉でのライブに向けて
心と身体を創ります。
よかったら
遊びに来てください。
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。