適したこと。したいこと。想いを迎え、見送る
このnoteを始めたときは
ウクレレや音楽についての
僕が学んできた
真理的なことを
拙いながらも
順序立てて語っていく場にしようとしていた。
そっちの方が
一般的にニーズがあると思ったし、
How toを検索している人は
多いと思った。
じっさい、
ウクレレで「パプリカ」を弾いた
解説動画なんかは
今、1200再生とかいって
僕のyoutube動画ではトップクラスだ。
笑える。
それで
何を成そうとしたんだろう?
ウクレレの先生を
職業として安定させたかったのか。
この著作の知名度を利用させてもらって
僕自身のアーティストとしての
知名度を上げたかったのか・・・
笑える。
それだったら
全然努力が足りていない。
アカデミズムも足りていないし、
マーケティング戦略も足りていない。
仲間も足りていない。
そして、
なんでその努力を出来なかったのか?
お金になる見通しが立たなかった?
いや、
本当にやりたいことじゃなかった。
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オリジナル曲を演奏するより、
知名度のある曲を網羅していた方が
お仕事的な依頼もあったり、
ツールとしての
汎用性が高い。
そんな氣がしていた。
さらに
ライブで人を集めるより、
ワークショップやウクレレ教室で
人を集めた方が、
ニーズはニッチでも
お金は頂きやすいな。
なんて思った。
なんてったって「先生」に
なるんだからな(笑)
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少しずつサマになってきた
こんなスタイルで2019年。
そして2020年・・・。
それでも意外と、
ウクレレは
ソーシャルディスタンスのプロパガンダの
おかげで、
逆に好調だった。
そんな風を受けて、
ウクレレのレクチャー動画を作る
話もやってきた。
・・・でも
ままならない。
儘ならない。
ある、コロナ禍の最中、
10人ものフラダンスを踊っている方々から
ウクレレを習いたいとの話が来た。
何度か教室を開かせてもらった。
みんなマスクをして、
僕もマスクをした。
「また次回〜」
と手を振って別れたあと、
なんとも言えない充足感があった。
マスクをして仕事をしている自分が
「ちゃん」としている感じがして、
直後に
自己嫌悪だかなんだか
わからない感情になった。
この「社会」のシステムのおかげで
活躍できている方々は
マスクして、ワクチン打って、
仕事を続ける。
それでかまわないだろう。
でも、
「この社会のせいで・・・」
と、冴えない暮らしをしていた僕に
こんな充足が来ても
胡散臭く感じてしまった。
それから
積極的なウクレレ教室の営業の呼びかけを
しなくなったら、
仕事は消えていった。
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必要とされることをする。
利他の精神で
みんなのニーズを満たせれば
自ずと己の利にも
返ってくるだろう。
見返りを期待してはいけない。
みんなの喜ぶことを
自分のスキルを活かして
与えることが出来たなら、
それは人生に充足を覚えるだろう。
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でも、
そのニーズ、
僕がやる必要あるのかしら?
僕は何をする必要があるのかしら?
「必要」なことって
本当に僕らにわかるのでしょうか?
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いろいろな実りはある。
ウクレレを教えることで、
生徒さんの好きな、
僕の知らなかった曲を教えてくれる。
その曲をアナライズすれば、
興味のなかったその曲も
けっこうな意図で
それぞれの音が選ばれていることを
理解できる。
学びになる。
音楽の面白さを
あらためて感じる。
そして、
今まで音楽を
聴くことしか知らなかった人が、
自ら奏で、歌うことは、
とても大切なことだと思う。
だから僕は
自ら音楽をしているんだから。
さらに理想を言えば、
みんな、自分の詩を
創るべきである。
誰かの言葉をなぞるより、
誰かの言葉や「在り方」で
感じた自分の言葉を
生み出すべきである。
だから僕は
自ら生んだ詩を
唄っていたい。
そして、さらに
「感じたこと」を
詩に出来た後は
「感じてみたいこと」を
詩にしてみるってのも
好いと思う。
だから
僕はそうする。
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そして僕は後ろを振り返る。
そんなに
そこまでのニーズは
今の日本社会にはないか・・・
というか、
皆さんを見下すわけではなく、
きっと、
それぞれの人生に
僕の「これ」に相当する何か
「それ」があるんだと思う。
それをすればいいんじゃないかな?
なんてね。
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そして、
安い授業料で
いつも時間オーバーをして、
毎回晩御飯までご馳走になった
今、生きていれば85歳になられる
30歳手前の頃に
習った先生を思い出す。
満たされたお腹の帰り道、
武蔵野公園で
さらに深夜まで、
タイコや、笛を練習していた日々を
思い出す。
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だから?
でも?
ウクレレの先生であることを
拒絶するわけじゃないんだ。
ただ、
仕事じゃなくても、
仕事がなくても、
ニーズがなくても、
することって何だろう?
何の見返りもないのに。
他のことした方が
きっともっと見返りがあるだろうに
何で「それ」をしないで
「これ」をするんだろう?
「これ」は流石に
求められてないな。
活動が行き詰まってるな。
それなら「それ」をした方が
ニーズも感じられるし、
フレンドリーになれるし、
敬意も得られるし。
「これ」はひとまず置いておいて、
「それ」を中心に活動しよう。
と、やってみた。
そして、
「それ」も
儘ならないことを知った。
今、考える。
もし、
「それ」がうまくいって
「そういう人」と認知されて、
「こういう人」の出番が
さらになくなったら・・・どうしよう?
何の証拠も要らない。
自信に、
「そうなんだな」と
信じてしまった自分に
根拠は要らない。
どうせ僕らの思い込みだけで
世界は成り立っている。
好きな思い込みを創ろう。
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・・・と、
本当はこんなことを書く予定ではなかったのだ。
こんな「僕」がいる。
という前提で、
先日、こんな僕のnoteを知らない(と思う)方から
小学生へのウクレレWSの話が来て。
インスピレーションがやってくる。
子どもはどんな曲を弾きたいのか?
「アイドル」なんてどう?
言ってしまった!
曲の構成を調べる。
コード進行を調べる。
ウクレレでアレンジしている人の
動画を見る。
うまいなぁ
若いなぁ
素敵だなぁ・・・
いろんな人がいるな。
僕は到底
ここまでの技術を磨けない。
きっと彼女の人生のモチベーションは
僕とは違うところにあるのだろう。
当たり前か。
だから僕らはみんな
違う人生を
歩んでいるんだから。
そして僕らは
その時、その時、
いろんなことを想い、
意味や価値を変容させる。
「大切なこと」も変容する。
ただ、
やってくる「想い」を迎え、
逝く「想い」を見送る。
そして僕らは
響き合っている。
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。