見出し画像

蛍を見に行ってきました。

この日は朝から

田んぼ行って、
畦塗りして、
子どもを保育園に連れて行って、
両親の入っている老人ホームに差し入れしに行き、
友達の田んぼの代掻き(手作業)を手伝いに行き、
近所の道の駅の「蛍まつり」で
奥さんと娘と合流。
温泉入って、
暗くなる前に帰宅。
明日は久しぶりに雨が降るそうなので
収穫適期のじゃがいもと玉ねぎを収穫。

で、
田んぼの友達と
「蛍を見に行こう」
との誘いに
合流しようと思いました。

奥さんは徹夜でパンを焼いていたので
蛍辞退。

息子、娘も「行かない」って・・・
インドアな子ども達。

おかげさまで
ゆっくり「僕」と対話できました。

*************

待ち合わせ場所に行った。

そこは駐車場もある、
それなりの景勝地で
蛍スポットとしても
近隣では有名だ。

友だちの話では、
そこからさらに軽トラの荷台に乗り合わせて
奥地へと行くそうな。

時間通りに着いた。
しかし、
暗くて仲間に会えない。

ちょっと大きな声で呼んでみる。

電話してみる。

・・・・

・・・・

なんか違くね?

蛍はすでに飛んでいる。

何をしにきた?

味わいに来た。

蛍を味わいに来た。

友達、
要らなくね?

もっと幻想的な
蛍の乱舞する場所に
連れて行ってくれるかもしれない。
でも・・・

仲間と・・・
「わーすげー!」
「やばいね」
「これって〇〇みたいじゃない?」
とか、

どうにかして感動を
分かちあおうとする。
表現しようとする。

話すほどに
離れてしまう・・・

やめた。

僕は独りになろう。

暗闇へ

一歩一歩と足を踏み入れる。

だんだん
観光客の声が離れてゆく。

森の中へ。

(ここで2001年頃、千葉の大原町という所へ行って、
マイク立てて録音した「森おばけ」という唄を思い出した。
帰宅後、音源を探し、映像は適当に編集して
youtubeにupしました。
よかったら聴きながら読んでください。)

一歩先が見えない。

自分の手足が見えない。
足元が見えない。

目も悪くなり、
足元もおぼつかない
老いた父の感覚を想う。

かつて在り、
またいつか在るかもしれない
サバイバルな崩壊後の世界を想う。

途中で観念して
文明と自然の境目の安全地帯、
吊り橋へ戻る。

蛍をみる。

蛍がいる。

だから何だ?

どうしよう・・・

綺麗だし、
綺麗で幻想的なんだけど

どうしよう・・・?

人気(ひとけ)は途絶えた。
観光客は帰った。

そっとウクレレを取り出す。

要らないかもしれない。

そんな自然の中に
「表現」なんて要らないかもしれない。

鳴らしました。

思い出しました。

僕のために
世界が在ってくれることを。

あぁ、この純粋な音を
誰かに聴いてもらいたい。

矛盾している。

でも、
この「表現活動」、
誰かに伝えたい。
この「独り」を
誰かと分かち合いたい。
(で、けっきょく動画を撮ったのです)

蛍が綺麗だから、
蛍の季節が素敵だから、
その味わいを
なんとかしたいという欲求で
道の駅での「蛍まつり」は
開かれるのかな?

2回ほど、
過去に演奏で出演したけど、
僕にはこういった
エンターテイメントは
似合わないな。

子どもも大人も楽しめるような、
関西弁のおっちゃんのパフォーマンスを
流し見ながら、
焼きそばを食べていると、
僕には
「みんなに楽しんでもらいたい」
という欲求がないことに氣付く。

向き不向きがあるんだね。

僕は、
蛍の乱舞する
静けさと、川のせせらぎの空間を
どう味わってやろうか?と
模索しながら
ウクレレを鳴らす。

純粋でありたい。

純粋ってなんだ?

蛍はいる。

川は流れる。

月は昇る。

星は輝く。

で?

そこに何の意味がある?

純粋ってなんだ?

スマホの明かりを無粋に感じながらも、
こんな瞬間を
分かち合える今の文明の不思議、
ライブ配信をして、
ウクレレを弾いてみた。

画面は真っ暗で
蛍なんて映さなかったけど、
あの瞬間の即興の音だけは
届けられたようだ。

2001年頃、
20代の初頭、
東京からバイクを飛ばして、
房総の奥地の蛍が見える場所まで、
一人で行った。

あの瞬間につかまえた詩を
久しぶりに思い出している。

僕は小学生の頃、
カブト虫捕りや、
盆踊りのお祭りの
待ち合わせに遅れ、
誰もいなくなってて、
独りとぼとぼ歩いた道を
よく憶えている。

20代も
こんな感じで、
独りで感覚を味わって、
誰かと一緒にいる欲望を望みつつ、
誰も一緒にいなかったから、
せめて何か描き留めようと、
詩を、音を
そこで奏でてきた。

僕って
こんなやつだったんだ。

結婚して
子どもにも恵まれ、
リア充を手に入れようとも、
ついつい
この渇望に戻りたくなる。

想い出そうとしてしまう。

戻る意志が消えた時、
僕は音楽をやめると想う。
必要がなくなると想う。

もし、ニーズがあって
仕事になって、
こなせる技術を身につけていたとしても、
「稼げるバイト」くらいにしか
ならないと想う。

渇望なんて消えた方が
自由になって、
もしかしたら
社会的成功を手に入れられるかもしれない。

でも、まぁ、
僕はこんな風に
出逢って生きてきたから、
今生はこの味わいを
生かせる生き方が出来たらいいな。

これが僕の生活の柄です。

*************

こんな僕ですが、
最新のレコーディング音源、
こちらからメディアを選んでいただいて
聴けるようになりました。

よろしくおねがいします。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。