僕の人生では「お金」はどうもネガティヴな効用しか経験できなかったみたいだ。
朝、5時に外へ出て、
発声練習して、
タイコ叩いて、身体を整える。
ウクレレで歌う機会ばかりになろうとも、
大きな声で歌う機会は
健康と、底力を養うためにも必要。
と判断し、
一日を追われる前に早起きをする。
しかし、
家の中で身体をほぐし、
ぐるぐる廻る思考に囚われていたら、
娘の目覚ましの音が聞こえ、
あ〜もう6じか・・・
家で歌おう。
と、自宅の2畳のスタジオに籠るも、
やはり思考に囚われて
何も出来なくなってしまった。
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「お金」のことを
考えてしまったのである。
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最近、何もかもが高くなり、
値段設定を考えることが多い。
2000円にするか?
2500円にするか?
その違いはなんだ?
2000円なら多くのお客さんが
払ってくれるだろうか?
2500円でも払って
お客さんは来てくれるだろうか?
お客さんは何で値段を判断するのか?
「相場」で比べるのだろう。
大体このモノゴトなら
このくらいの値段が相場だろう。って。
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売る方、
お金を受け取る方は
いくらくらいを受け取れば
生活が出来る稼ぎを得られるのだろうか?
家賃、光熱費、経費もろもろ。
払わなければならないお金を払って
「生活」が成り立つ。
・・・とされる世の中だ。
1ヶ月に20万?30万?
1936年生まれの父の部屋を整理していたら、
サラリーマンしてた父の給料明細が
出てきた。
25万あたりから、
課長になり、定年に近い頃は30万くらいだった
みたいだ。
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少ないね。
で、今の僕の暮らしは?
ライブやら、バイトやら、
お金を受け取ったり
ボランティアだったりしながら
4000円とか1万とか、3万とかを受け取りつつ、
1年間に100万もいかず、
親の貯金と混同しながら
質素に暮らしています。
そんな社会から押し出されるように
大分の空き家になっていた古民家を
借りて、
家賃も書類もなく、
「想い」のつながりだけで
許され、
家族4人で暮らしています。
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お金のことを考えていては
満足に生きていけない。
お金を払わないと生きていけない世の中で
お金を受け取れない生き方をすると
生きていけない。
何とか
お金が手元に入る生き方をしないと
成り立たなくなる。
となると、
何としても
お金が手元に入るやり方で
生きていかねければ
成らなくなる。
となると、
お金を得る方法を考えることが
人生で最優先されることになる。
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これっておかしくない?
人生で最優先されることが
唯一の自分の人生を生きることでなくて、
お金を得ることだなんて。
お金に合わせて
人生を選択するの?
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・・・そういえば
昔は、お金に合わせて人生を選ぶわけではなく、
身分、家柄、血筋を継ぐことに
人生を合わさなくてはならない時代だった。
良かれと選び、
僕らは
「お金(資本)があれば、
身分に関係なく、
自由に庶民でも
人生を選べる社会」
を創ったのだった・・・。
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津軽三味線は昔
乞食(ほいと)芸と呼ばれ、
東北の雪深い地域を
歩き、閉じた家々から
お金やお米をもらうために、
猫ではなく犬の皮、
竿もかなり太い竿で、
大きな音が出るように
作られていて、
そこで頑丈な楽器に
派手なパフォーマンス。
「凄い」と思われるような
派手なパフォーマンスが、
永六輔氏に発掘され、
「津軽三味線」と名付けられ、
伝統芸能のような格付けに
昇格した。
らしい。
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大道芸は
道端で、人が集まるように
派手な格好をして、
「凄い」と思わせる「技」を見せて、
その「あり得なさ」を見せてもらった
対価として、
お金を払ってもらう。
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人が集まり、
その人が財布を開いて
手元のお金を、
こちらの手元に移させてもらう。
そのために提供者は
思考を凝らす。
それが「価値」となる。
「価値」となされている。
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これを僕らは思考する。
如何にして、
人を集め、お金を払ってもらえるのか。
を。
何をすればお金が得易いか。
どうすればお金が得易いか。
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派手なパフォーマンスではなく
ピアノの1音1音を届けることに
価値を付けて提供したいのなら
道端ではなく、
静かな場所でコンサートを企画しなければならない。
多くの人を
静かな場所へ導く周知が必要となり、
それに相応の価値を予感してもらうための
デザイン、値段設定が必要になってくる。
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何らかのパフォーマンスに
何らかの価値を付ける。
そこに「価値」が付けられなかったら
その存在は無価値?
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「ひとつの音に祈りを込める」
「迫力の音で圧倒的なパフォーマンス!」
キャッチするためのコピーを考える。
時代に合わせる。
時代に依って価値が変わる。
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お金にならない
必要のないことは
やらなくなる。
レコーディングしても、
CDにしても、
ストリーミングサイトに提供しても、
売れないので、
1月からレコーディングソフトを
立ち上げる労力を使う時間を
割けないでいる。
お金になる見込みのない
音楽に対する練習は
なかなか後回しになってしまう。
お金にならない
田んぼ、畑、草刈り、家の修繕、
地域行事、PTAへの参加 etc・・・。
お金のことを考えていたら
全然思いっきり生きれない。
でも、お金のことも考えなきゃね。
と、世間の声が聞こえる。
プロパガンダな気がしてきた。
お金のことを考えることで
「お金」に力を与えている。
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モノゴトの算段を組むのが
上手な人がいる。
とにかく素早く行動することが
得意な人がいる。
お互い、力を合わせられればいい。
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1976年生まれの僕は
ギリギリ、喧嘩が強いことに
とても価値があった世代です。
腕っぷし、心意気、啖呵。
これで世の中が動いたいた。
しかし、近年のホワイト社会。
わりーことが出来なくなった。(庶民はね)
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社会の構造が変わる。
モノゴトの価値判断が変わる。
変化に合わせて
自身も変化すべきなのか?
そんなに変化できるものなのか?
だから僕らは
「命」を循環させるのかもしれない。
「一生」で得た価値観は
そう変わるものではない。
そして、
「一生」の中で時代の「価値」を得る経験を
得られなかった人は
何を「価値」として
生きていけば好いのだろうか?
大好きなピーズの詩が
蘇ってきた。
僕はこのピーズで20代、
深刻な性格から
楽観的な性格に変わった。
シニタイヤツハシネ
と、
これ以降活動停止になった
鬱の極みのようなアルバムをヘビロテして
性格が明るくなった。
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こうしてyoutubeで曲を見つけて
リンクしても、
ピーズさんには
大したお金は入らないだろう。
でも、
そこをちゃんとする必要あるのか?
著作権とか、利益分配システムとか。
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誰に届くかわからない。
誰にも届かないかもしれない。
死んでから評価されるかもしれない。
忘れ去られるかもしれない。
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生きれればいい。
生きていければいい。
生き生きと生きて、
生き生きと死んでいければいい。
人生が
ちゃんと見せてくれるのに
「なんでこうなったんだ?
・・・わからない。
どうしてこう間違えたんだろう?」
なんてならないように
生きていたい。
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僕の人生では
「お金」はどうも
ネガティヴな効用しか経験できなかった
みたいだ。
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最近、物価が高騰して、
所得が上がらず、
不平不満を民衆が言っていたら
最近は
労働賃金が
少しずつ上がってきているみたいじゃないですか?
これでいいの?
1000円の物価が2000円になり、
時給が1000円から2000円になったとして。
そうしたら、
もっと、賃金労働や、
金額を得られることをしなくては
ならないじゃないですか!
鍬が3000円で買えたものが
5000円になって、
2000円多く、
お金を得るための労働を
しなくてはならなくなる。
ちゃんと野菜を市場に出して、
収益を得ないと、
次の鍬は買えなくなる。
そうこうしているうちに
バカ高い金額の農機使って、農薬使って、輸入して、輸出して、
市場の単価を下げながら
儲ける資金潤沢な人たちに
さらに格差をつけられる。
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お金にならないnoteなんて
書いている場合じゃない。
有料noteにして、
何か価値のある情報を書かなければ!
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そして、
何時間もnoteを書いている場合じゃなかった。
今日はお金にならない
小学校の「田植え授業」で
これからPTAとして
参加しなくてはならない。
楽器や声の練習も
しなくてはならない。
「田植え授業」が終わったら、
午後は我が家の田んぼの
最後の代掻きだ。
昭和51年製の
僕と同い年の耕耘機を
法人からお借りします。
ガソリン代も
経費で何とかしてくれるみたいで。
有り難く、ありがたく、
今日もがんばります!
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