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自己紹介

皆さん初めまして。YOSHITAKAです。 1974年8月3日生まれ45歳大阪南部出身


幼少期の頃は、冒険心と好奇心が強く気になる場所が有ると直ぐに走って見に行くようなとても親を困らせる幼少期だったと思います!

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小学時代は、父親が新聞店を経営していた為朝刊を配り終えた後 学校に行く毎日でした。私は体を動かすことが好きで小学校のマラソン大会では上位に入る事が出来ました。 小学校のクラブ活動ではバスケットを積極的に活動していました。

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中学校時代は、水泳部南大阪大会で4位入賞し とても自分自身にとって自信を持てる結果でとても嬉しかった事を覚えています。 そして、私にとってもう一つ大きな自身を持てる出来事が有りました。それは、父親が自営の為、休みの少ない仕事でしたが、その時間を使って私にスキーを教えてくれました。そのおかげで私はスキーがとても好きになり得意分野となりました。

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 そして、たまたま修学旅行ではスキーをすることになり、父親が以前教えてくれたスキーで注目を浴びることが出来たので、父親には凄く感謝をしたことを覚えています。

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高校時代 入学早々に私の体格がラグビー向きとクラブの先生にスカウトされ、ラグビーにも興味を持ち始めた頃で、私には願っても無いチャンスだったので直ぐに入部しました。入部した時はつらい時期も有りましたが、仲間と頑張って日々、乗り越えていき、ラグビーの楽しさも実感していきました。 私は、高校に入ってから、バイク・車などにも興味を持ち、十六歳で中型二輪免許取得しました。ラグビーの練習の後は友達とツーリング、そして高校に入ってから彼女も出来たので毎日がとても輝いていましたが 高校2年夏の事でした。

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彼女の家から自宅帰る途中バイク事故を起こし三週間意識不明の重体に・・・  脳神経外科医が意識が戻ったとしても半身不随に後遺症が高い確率で残るだろうと、家族に告知され家族も覚悟を決めていたようです。 そして事故を起こしてから1ヶ月が過ぎようとする頃、私は奇跡的に意識を取り戻し、その後も障害が残る事無く順調に体力も回復し、担当医師も、家族も、彼女も、友達も凄く喜んでくれました。 この時に私は、こんなにも周りの人達に心配をかけたので、私は心の底から反省をし、もう二度と、自分の周りの大切な人達に心配、迷惑をかけないと、心に誓いました。 そして、月日が流れ私は、父の職業手伝い(新聞店)の為高校に二輪免許の許可申請していたので留年すること無く無事に高校卒業することが出来ました。自動車に興味が有り、町工場の自動車鈑金塗装に就職し、塗装工として働いていました。その時の先輩に恵まれ、私にとって向上心を持たせてくれる先輩でした。現在はその向上心で私は某大手の自動車メーカーの塗装工として二十二年働いております。ここ最近では自動車を乗る若者が減少し自動車離れが悲しい現状ですが精一杯頑張っています。

今では、高校時代に付き合っていた彼女と結婚し、娘に恵まれ、三人で毎日を楽しく過ごしております。