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幼稚園の先生がものすごく怖かった記憶

「幼稚園の先生は優しい」というパブリックイメージ。
私個人の記憶には無い。
ものすごく怖かった。恐怖の存在だった。

幼い頃、北海道から東京に引っ越してきた。
その引っ越した先の、幼稚園の先生。

言い方は失礼だが外見も中身も「鬼ババ」のようだった。

体罰はもちろんあった。
気に入らないことがあると無言で頭を叩かれる。
何故叩かれたのか、理由も分からない。

精神的攻撃もあった。
こちらに非が無くても大泣きさせられ、謝るまで無視される。
子供が失敗すると、みんなを巻き込んでからかい、バカにする。

遠い昔の話だが、今なら大問題になるだろう。

当時の同級生と大人になってからその話をしたことがある。
みんな「あの先生は鬼のように怖かったよね」という認識だった。
私の勘違いではないようだ。

私は昔からぼんやりした子供だったので、とりわけ目を付けられていたように感じる。
泣かされた記憶は山ほどある。
親にそれを報告できるほどしっかりした子でもなかった。

幼いながらに「先生に怒られないように」気を使って行動するしかなかった。

ぼんやりした幼い私は「なんかこの場所変だな」「なんかこの先生おかしいな」と感じながらどうにかやり過ごし、無事卒園はした。

しかし「〇〇幼稚園の〇〇先生が凄まじく怖い、恐怖の存在だった」という記憶は一生残る。

幼稚園はちっとも楽しい場所ではなかった。


大人になってから、子供と身近に接する仕事をしていたことがある。先生ではないけど。

一人の人間として、ちゃんと子供たちと向き合おうと思った。

別に子育て論や教育論を展開するつもりはない。教育に関連する仕事でもない。

昔の自分の辛い記憶を踏まえての決意だ。

子供はちゃんと聞いている。
子供はちゃんと考えている。
子供はちゃんと覚えている。
大人に言われた嬉しいこと、悲しいこと、全て覚えている。

だからなるべく、言われて嬉しい言葉を掛けようと思った。
精一杯温かく接しようと思った。
時には数百人を相手にするから全員に目を配るのは難しいけど、楽しい時間を過ごしてもらえるように祈った。

おこがましいかもしれないが、自分と関わったことが子供たちにとって少しでも良い記憶であったらいいな。
仕事を離れた今でもそう思っている。
そんな気持ち。


お読みいただきありがとうございました。

英李(hirari)

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