子供は、ケガをするもんです。
それは火曜日の夜のことでした。
わが家の末っ子(四男)が、療育先の施設で活動中、跳び箱で突き指する事案が発生
夜だったので救急外来を受診してきたというお話です。
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うちの四男は1歳で発達検査を受けてASDと診断されて以来、6年生になった今もずっと療育を受けています。
高学年になってからは毎週、6時間の授業が終わって帰宅してすぐ出発し、帰宅するのは午後7時を回ります。
以前は送迎していましたが、私が白血病になってからはとてもそんな状況ではなくなってしまいました。
かといって療育を中断すると本人の困り感を放置することになるので、施設のお迎えサービスをお願いして、帰りは長男(定休日)に迎えに行ってもらうことで落ち着いています。
その日は活動中に跳び箱をして、その際に左手をつき損なって、突き指してしまったのだそうです。夏の終わりから秋にかけて急に体が大きくなったからなあ。
骨折なら泣くほど痛いはずだけど、そこまでではなさそう、でも痛がってるし腫れてる。明日の午前中に整形外科に連れて行くか、それとも救急外来を受診するか…?
迷って最寄りの総合病院に聞いてみると、「当直の整形外科の先生がいる」とのこと。
翌日は娘を別の病院に連れて行く用事もあったし、夫も帰宅していたので、早めに安心を確保?するため救急外来へ行くことにしました。
その前に念のため施設へ連絡し、療育中のケガについて何か保険に入っているようなことはなかったか確認しました。
こちらはただその有無を確認したかっただけなのですが、ものすごい勢いでお詫びされてしまって。施設側の先生も、電話するつもりだったと教えてくれました。
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救急外来では、若い整形外科の先生にそれは丁寧に診察してもらいました。
ずらりと並ぶ検査室を前に、自分が患者じゃないことに違和感を覚える母(笑)。
いやだってすごく自分が行かなきゃいけない感がするじゃないですか。
レントゲン室にも一緒に入りそうになって、あ、今日は自分じゃないんだと我に返るなど。
レントゲンでも異常なしとお墨付きを貰った四男。待ち時間がとにかく退屈そうだったり、初めて見るレントゲン写真に「これが俺の骨か!」と感動してみたり。突き指は不治のケガではないのかが一番心配だったようで、先生に請け合ってもらって一安心していました。
うちの市は中学卒業まで医療費を自治体が負担してくれるので、診察代は無料(ただし時間外料金は自己負担)。
心配してくださっていた施設の園長先生に診察の結果を伝えることになっていたので、経過を報告。翌日にはいつもお世話になっている代表の先生からもお詫びの電話を頂きました。
キット カンリシャトシテ シカラレチャッタンダロウナ
いつも本当にお世話になってます。これからもよろしくお願いします。
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もちろん、ケガしないに越したことはないです。
自分が痛い思いをするのはつらいし、痛がっているわが子を見るのは自分がケガをするよりつらい。
でも
子供はケガをするもんですよね?
特に小学生男子。
何が原因でケガをするか、あんなに大人の想定を軽くクリアしていく集団を私はほかに知りません(中学生も油断はできないけど)。あとどうして晴れた日に傘が壊れるのかも。
なので
施設の先生には「どうかこれが原因で跳び箱禁止にならないようにしてください」とあらためてお願いしました。
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不幸中の幸いだったのは
小学校の音楽会が終わった後だったこと
聴覚過敏で音圧にも弱い四男、これまで音楽の練習がつらくて本番もつらくて、「出られるところだけがんばる」で過ごしてきたのですが、去年まで本当に無理だった和太鼓に今年はチャレンジすることができて、しっかり本番もやりきってくれたんです。
もしケガが音楽会の前だったら
そう思うと、悪いことばかりじゃないなと
後で聞くと、小学校で跳び箱が跳べるようになったことが嬉しくて、療育先でも見せたかったのだそうです。
しばらく痛いのはつらいけど、治ってからまたチャレンジできるといいね。
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ちなみに和太鼓は長男が6年生だった17年前に始まり、それからずっと続いてきたものです。
その時の教頭先生が今は定年退職されて施設のスタッフとして勤務されているのですが、当時は太鼓の数も揃わなくて数名は自作の太鼓を使ったりしていましたね~と話に花が咲きまくり、迎えに行ってくれた長男にも懐かしく話してくださったそうです。
そんな小学校とも、間もなくお別れ。
みんなが笑顔で春を迎えられますように。
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